よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

青汁

最近仕事が忙しくなって、残業のために終電間近で帰ることが増えた。帰る頃には空腹のピークはとうに過ぎていて、寝る分には困らない程度のことが多かった。遅くに食事をすると眠りが浅くなるのと、食べる気力が湧かないので、だんだんと何かを口にすることが減った。そうまでしても仕事はなにひとつ進まず、そうしてつくづく人に頼れない性格を思い知った。

良くしてくれる先輩に、良くも悪くもプライドが高いと言われた。なるほどと思った。意地になっているつもりもなかったが、これはプライドなのか。『プライド』を調べてみた。自負心。そうか。キリスト教七つの大罪では、プライドは傲慢と訳されていた。確かに「自分はできる」という傲慢さがあるのかもしれない。そう思われても仕方ないかもしれない。本当は周りと上手くやれていないだけでなく、できないやつと思われたくないという恐怖が自分を動かしていたのだけれど。これも傲慢というのだろうか。

 

そういう風にまた食事を疎かにする生活をしていたので、家に野菜ジュースがあるのを思い出しながら『野菜不足なあなたに!』と書かれたペットボトルの青汁を買って飲んでいた。目の下にはくまができていたが、眼鏡のせいか、それとも人付き合いをしていないせいか指摘されることはなかった。不足しているのは野菜だけじゃなかった。

一緒に働いていた人に「青汁なんて、そんなの飲むの?」と聞かれ、30歳になったので。と応えたら、二回り以上も上の人に若く見えるね、まだそんな年じゃないでしょ。カルビが食べられなくなったらだよ。と小さく笑われた。なんと返せばいいのかわからなくて、そうですかねと言って僕も小さく笑った。一口で半分になったペットボトルを見ながら、なんだか不思議な気持ちになった。不味くなければならないと思っていた青汁は思っていたより美味しかった。

 

青汁は美味しいかと聞かれ、悪くないですと言って飲み干した。昔は不味くなくても、不味いと言って飲むのが辛いフリをしなければならなかったはずだった。周りが楽しそうに話していたら、自分はつまらないと思っていても、同じように笑わなければならなかった。

今では美味しいとは言えない野菜ジュースを率先して飲むし、輪に入らなくても何も気にならなくなった。人に言わせれば「寂しいね」なのかもしれないけど、僕にとっては楽でいいと思える。

人に合わせられなくなった僕は、楽にはなったけれど、人に合わせてもらうことも随分減った。以前、人間関係は自分を写す鏡だと思ったことがあるけれど、他者とのしがらみ以上に自分の理屈に絡めとられて、1人なのに苦しい人とばかり仲がいい気がする。

それも悪くないじゃんと呟きながら、空になった青汁を捨てた。