よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

陽炎

近くの川のせいか、晴れてはいるものの吹き抜ける風が少し冷たい。コートを羽織るには暑い気もするが、スーツだけでは少し心許ないような朝。仕事の予定が頭をちらつくのを、愚にもつかないニュースで塗り替える。今年覚えた花が咲いている。雪柳、雪柳、木蓮木蓮、いや木蓮じゃない、あれは花水木。

客先に向かう昼下がり、車に乗り込むと、朝よりも強くなった日差しが車内を夏にしていた。エンジンをかけて窓を開け、今年初めて冷房をつける。正面を見ると、真っ直ぐに伸びた国道に陽炎が逃げるように遠ざかる。夏の季語と思っていた陽炎は、どうやら春のものらしい。

 

会社に帰りたくなくてコンビニに寄り、冷蔵ケースから氷のカップを取る。今年初めてアイスコーヒーを買う。コーヒーマシンの下にあるゴミ箱にはアイスの袋が3つ捨ててあった。夏だったのは僕だけじやないことが少し面白い。

いつの間にか散り始めた桜を眺めながらコーヒーをすすると、氷が溶けていないのかいつもより苦い。ゆっくり見たいと思っていた梅はこぼれ、かつての芳香をなくしてなお力強い枝が、いい味を出している。ろくに見ないまま、桜も散るだろう。マスクを外し、桜の木の下で缶ビールを飲む人たち。すでに顔が赤らんでいる。今年から飲み始めた花粉症の薬が効いていないのか、僕は目をこすりながらくしゃみをした。車のスピーカーからはくるりの東京が流れていた。

東京/くるり

 

卒業式だったのか、花束を持った男の子が通りすぎていく。15年、あるいは20年前、僕も桜のまだ咲かない学校を卒業した。通りすぎる男の子の胸章を見ていると不意に過去がフラッシュバックしてくる。

今思えば無意味に思える相互監視や同調圧力は、窮屈で苦しいものだった。僕はいつも怯えながら周りを監視していて、それゆえに僕の一挙手一投足も見られていると思っていた。注意深く足並みを揃え、はみ出しすぎないように日々をやり過ごしていた。

変な人を羨望していながら、人と違うことができなかった。興味ない態度を装っていながら、怖くて常に周りの流れを窺っていた。そんな状況ぜんぶが心底憎らしく、苛立たしかった。自分が情けなかった。変で、それでいて周りの視線など興味ないとばかりに飄々とした人たちに通じるものが、自分にだってあってほしかった。

 

しかし、そうやって周りを窺う小者ぶりは、今となっては観察力の一助となっている。いや、そう思いたいだけかもしれない。本当は頭の切れて知識のある人間になりたかったのに、そんな実態のないゆらゆらした虚像は陽炎のように逃げていく。変な人にもなれず飄々ともできず、ルサンチマン的な感情に振り回されている。周りの変な人たちを見上げながら、せめてその周りでゆっくりビールでも飲みたい。