よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

繋がらない

今月中旬、かろうじて休みが確保できたので、所用で実家に帰省していた。

実家は平穏で、世は事もなしといった様相を呈していた。父は体調を崩し少し痩せ、母は仕事を終えてから少し小さくなった気がするものの、それでも1日のほとんどを労働に費やしている僕よりは元気なように思われた。今回は僕自身の備忘録のため、家族の様子を書き記したい。

 

テレビ台の上に乱雑に置かれた薬の量が増えていた。母のものだ。もう何錠飲んでいるのか僕にはわからない。仕事を終えて空いた時間をなにに費やしているのかと思えば、クラフトバンドなる紙を編んでバッグを作ったり、吹き矢の試合に出たり、体操をしているらしい。なんにせよ、新しくやってみる姿勢は尊敬する。退職して暇だろうと勝手に思っていたがそんなことはなく、僕が居た2日間も朝の散歩とラジオ体操、家庭菜園と忙しなかった。さすがに体力は落ちていたが。散歩については以前転んで手首の骨を折ったので無理はしないでほしい。

一方父は釣りに行ったり週に何度かゴルフに行ったり。この前友人宅にピザ窯を作ったと言っていた。杉を切って薪にしているらしい。どうやって切っているのかと問うたら、チェーンソーを買ったとのこと。僕はつい笑ってしまった。なにをやっているんだ。ピザ窯なんて作れるものなのか。元気じゃないか。怪我だけはしないでほしいが、どんどんやるといい。僕に一銭も残さず、やりきるといい。

叔母は相変わらず粛々と本を読んだり、梅干しを作ったり、丁寧な暮らしをしていた。見ていて一番安心できる。家の中に一人は良識を持つ人間が必要だ。

 

家は一部を直して、赤かった屋根は濃い青に変わり、外壁もきれいに塗装していた。キッチンも一部が新しくなっていた。どことなく頭の中の「実家」と目の前が繋がるのにラグがあった。一部が違う実家をぐるりと回り、なにか間違い探しのような、これは夢だと知っているような夢を見ている感覚だった。

 

以前帰省したのはコロナの流行る前だったから、もう3年くらい前だろうか。スマホとパソコンを新しくしてからは帰ってなかったから、実家のWi-Fiに繋がらなくなっていた。歳を重ねて新しくなっていく人々、変わった家をみて小さく戸惑い、しかし帰る場所があるのは安心できるものだと、変わらず古いソファに座ってつくづく思った。

いつかこの記事を読み、この中に生きる家族の姿を懐かしむ日が来るのだろうか。