よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

突然の花束に花瓶を

10年勤めた会社を辞めた。無職である。ざまーみろである。現在有給消化中の身なので正確には無職ではないのだが、気分としては無職のようなものだ。とはいえ、会社を辞める原因のひとつである元上司が、持ち前のどうかしているひどく自分に偏った屁理屈を遺憾なく発揮しまとわりついてくるので、100%気が晴れているかといえば難しいところ。「うるせえ知るか」と突っぱねていいのだろうが、この辺のわたしの気の弱さというか自分勝手になれない優しさが自分を大いに苦しめているのは自覚しているのだが、かといってそう簡単には変われないもどかしさも、まったくもって己を体現しているようで憎めない。

 

3年前に転居を伴う異動をし、移動先の上司の承服できかねるハラスメントを浴び続け、3度死にかけ、やっと自分を守らねばならないと自覚した。どうしても遅くまで残業する日々で、どうにか早く帰るために理屈を突き詰めていった結果「会社とは仕事をするところである」というところに行き着いた。会社の人との交わりを断ち、ただひたすらに早く帰るために仕事だけをこなしていた結果(それでも早く帰れたためしはない)、数人としか交流を持たなくなってしまった。それは3年前に異動してからが顕著なのだが、ともかく、退職を告げると幾人かが会話の間を埋めるように「さみしいですね」と言ってくれたが、そもそも交流がないのだからさみしく感じるのも難しいのではないだろうかなどと邪推してしまう。ちなみにわたしは清々している。

 

しかしそんなわたしのためにも、交流のある何人かが飲み会を開いてくれた。わたしは飲み会が嫌いで、全員が集まる会にも一切参加しないことを信条にしてきたし、わざわざ好意で開いてくれた飲み会を残務と思っている時点でわたしの嫌悪感を感じていただけるだろう。

 

先日その第何回かの残務を処理してきたのだが、その際に花束をもらった。花束をもらったことは初めてで、自分にそんな日がくるとは思ってもみなかった。花束は小さくまとめていただいたようで、大変ありがたかった。大仰なものは手に余るし、自分のような人間はその辺のゴミ箱に捨てると思っていたが、家に持って帰った。花瓶などある生活を送ってこなかったので、ペットボトルで簡易的な花瓶をこしらえて花を飾った。その即席でもどかしい状態が少し可笑しく憎めなかった。


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