よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

梅と雨

立春(2月5日頃)を過ぎてなお残る寒さを『余寒』と言うらしい。雪国育ちの僕としては、2月など最も寒い時期という環境で育ってきたのだから、何度経験しようともこの季語には疑問を禁じ得ない。そんなことを思いつつ、最近は晴れていても厚手の防寒着が必要だったり、かと思えばそれでは暑くなったりと難しい。とにかく、1日の中に寒さと、春の到来を予感させるほのかな暖かさが同居しているとでも言うのだろうか。

 

ニュースでは「大雪の恐れ」だの、「路面の凍結により過去に事故が云々」と騒ぎ立てていた。その割に今にも降りだしそうな薄曇りの空は、暗くなったのを合図にパラパラと雨を降らせた。折り畳み傘がないときに限ってこれだ。早く帰っていれば濡れずにすんだかもしれない。そんなことを考えて、いつものように残業したのを後悔しながら駅へと急ぐ。終電がもうすぐ出てしまう。

細かな雨が伸びた髪の隙間を縫って額を濡らす。切る時間もなく、前髪は真夏の雑草のようにボサボサと伸び放題になってしまった。ここ数ヶ月、休みが3日間しかない状態で騙しだましやり過ごしていている。異動してからのこの2年間、見事にろくなことがない。前髪が目に入る。犬のように頭を振ると、シャンプーの匂いに混じって、姿の見えない梅の香りがする。近くの公園か、もしくはどこかの軒先だろうか。

 

年をとったら、いつかまともになって色んなことがちゃんとできるようになれるのではないか。そんな淡い希望を抱いていたが、30を越えてもその兆しは一向にない。一生このままなのかもしれない。器用に生きていると思っていたのは自分だけで、人に言わせればひどい不器用らしかった。

梅が咲き、今年も一年の始まりが終わる。重要なことは抱え込んだまま、人に言えない閉じ籠り癖は直らない。もうどうにもならなくなっていく様子をじっと目をつむりながら、事態が好転して欲しいとただ祈るばかり。雨音に混じって、電話越しに無理な要求をしていた客先の声が耳にこびりついている。

 

雨が少し強くなり、梅の香が少し薄らいでくる。雨に混じったのかもしれない。少し梅の匂いのする雨。なんだかずるい気がする。雨足が強くなってスーツの裾の色が濃く変わる。梅の香をまとった雨が側溝に流れていく。駆け足で有料の駐車場を横切る。雨をまとった小走りの人たちが駅に吸い込まれていく。それを眺めながら、なんだか不意にすべてが馬鹿らしくなり、僕は足を止める。終電が明るい駅を出ていく音に耳を傾けながら、暗い道へ踵を返す。器用に生きるには強さが足りなかった。