5月になった。つまり、異動してから1年が過ぎたということになる。労働環境は日に日に過酷になり、年間を通して膨大な時間を労働に搾取されている。5月といえばゴールデンウィークなるものがあったはずだが、労働という業火に焼かれ灰燼に帰している。過労死ラインというものがあったはずだが、まだ死んでいないのが奇跡なほど自らを酷使している。
さて、年間の残業の記録である。完全にブラック。休みが半月に1日のこともあった。1週間の残業が35時間なんてことはざらだ。昨年のGWも盆もほぼなかった。休みの時短。信じられない。法治国家か?これは労働か?拷問の間違いではないか?労基署、出番ですよ。熱くなったことなどないのだが、僕の元々ない労働に対する熱意は死んでいるがごとく冷たくなっている。仕事を死ぬまでの暇つぶしという上司がいるが、こんなことをしているうちに本当に死んでしまう。
長い時間拘束され、気分屋で嫌味な上司も耐え難いのだが、何よりこれだけ労働をしていると、労働以外の生活がない。長時間労働による弊害は、嫌でも仕事のことを考えてしまうことである。当然だ。労働以外に人生がないんだから。息抜きをしようにも、未達成のタスク、しなければいけない連絡がつい思い浮かんでしまう。平日に代休を取っても、メールは来る。メールだけならまだいいが、電話も来る。これには対応を迫られる。休日も神経を尖らせてなければならない。
嫌いなものを考え続けてしまうという状態は、ひどく苦しいものだ。皿洗いのとき、歩いているとき、シャワーを浴びているときでさえ思い浮かぶ。忘れてしまおうと酒を飲もうにも、生活の基準が労働にあるから、寝坊するのではないかなどと小物よろしくびくついてしまう。どこにも安寧の地、壺中の天はない。
手も震えるようになり、不眠のような症状も出た。寝言で「すみません」と繰り返し謝っていたこともある。力が入らずペットボトルの蓋も開けられない。歩行中に膝から力が抜け、座り込んだこともあった。
過労からか、突然気を失うように寝ることも増え、高速道路走行中に寝てしまったことが3度ある。ラバーポールに車の右側面を擦りながらチャッターバーの上を走行したり、ランブルストリップス(白線などの凸凹)に起こしてもらったこともある。一人で死ぬ分にはいいが、誰も巻き込まなくて良かったと心底思う。
10日で残業50時間、休み1日。スーツを着たまま食事中に意識が途切れ、気付くとキッチンで寝ていたらしく、朝スーツを脱いでシャワー浴び、スーツに着替えて出勤。手の震え、頭痛、倦怠感。書いていてわかる。馬鹿げている。僕が何かで死んだとして、葬式に会社の人間を関わらせないでほしい。
頭がぼんやりして、簡単な計算もできなくなるような状態。日頃きちんとしていた整理整頓がどうでもいいことのように思えて、空のペットボトルが机に散乱しても、筆記用具が無造作に転がっていてもなんとも思わない。元来整っていないと気持ち悪いと感じていた感性が働かず、どうでもいいと感じるようになったのだ。『机が汚いやつは仕事ができない』と思っていたのに、仕事ができるとか、できないとか、整っているとかいないなんてことは些末なことで、それにこだわっていた意味がよくわからない。自分でもどこを見ているのだかわからないが、脳が稼働をやめているのか、ただ視点の合わない状態で空を見ている時間が増えた。
これだけ働いていても不思議と金も貯まっていない。通帳に穴が空いている。部長に退職の旨を話し、希望している転職先のために勉強をしたいのだが、年末は仕事中に足の靭帯を、今は背中を痛めて寝るのもままならない。おのれ弊社、絶対に許さん。