よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

手ざわりが覚えている

消しゴムを買ったことがほとんどない。そもそも文房具を自分のために自分の金で買った記憶がほとんどない。万年筆にあこがれて買ったのはもう10年近く前で、それ以外のものを買ったのはいつだったか思い出せない。必要なものは会社の備品でまかなっている。そもそも筆記用具といっても、最近ではフリクションとかボールペンばかり使っているから、必要なものがほとんどない。消しゴムを使うことも減って、文字を消す感覚も忘れてしまった。

 

子供の頃から自分のお金で文墨具を買った記憶がない。僕の実家では文房具を必要経費として捉えていて、必要なものは申告をするとお金をもらえるシステムだった。勉強をさせたいという母の考えがそうさせていた。勉強が心底嫌いだった僕としては、シャー芯とか消しゴムなんてものに金をかけたくはなかったし、ありがたかったのだが、だからといって与えられた文房具で一生懸命に勉強しようとか、珍しい文房具を買って楽しむなんてことはなかった。

共働きの母がいないときには、父と出かけることが月に何度かあって、父もよく文房具を買ってくれたし、あるいは自分のおすすめの文房具を渡してくれた。その中でも覚えているもののひとつが緑色のケースの消しゴムで、よく消える使いやすいものだった。なんという名前だったか定かではないが、僕はそれを気に入って、無くなればそれをねだった。消すのが楽しいくらい使いやすかった。もらっておいて一言もないのは可愛そうだからと子供ながらに気を遣った。いい使い心地だと父に報告すると、自慢げに笑った。つい最近まで筆箱に入っていたのもそれで、古くなって劣化したせいか、消しづらくなってしまった。

 

久しぶりの文房具屋は、なにか新しさと出会えるのではないかと心が踊った。見たことがない消しゴムがいくつかあって、今度は僕が父になにかいいものを教えられるのではないかと意気込んだ。もっとも、父が今も消しゴムを使うのかはわからないが。

新しく買った透明の消しゴムは、消しくずがまとまるのは良いが、紙に鉛筆の黒さがのびて使いづらい。最新の消しゴムはきっと素晴らしい消し心地なのだろうと思っていたのだが、消した手がこれではないといった。新しさを前に、忘れたようで手ざわりが覚えていた。