よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

2022年目標

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

ひどい年末から、ひどい年明けを経験した。年末には足の靭帯をいわして初めて車椅子と松葉杖を経験し、そのために2年ぶりの帰省は見送りとなった。地元に帰っている友人家族の邪魔をするのを楽しみにしていたのに野望は潰え、一人きりの家では年明け早々手を切り、加えて2年前にも痛めた首~背中が再発し、身体が動かなくなった。それだけでなく親族が倒れるなど枚挙に暇がない。素晴らしい滑り出しだ。今年いよいよ死ぬのか。『近年稀にみるひどい年』と言われた2021年の残滓なのか、はたまたそれを凌駕する年になるのか。そもそも『近年稀にみるひどい年』とは誰が言っているのか。ボジョレー・ヌーボーか。ボジョレー式で表すと緊迫感がなくなりますね。

 

こんな始まりの年の目標は何がいいか。このペースで不幸が積み重なっていくと、「蹴った小石がなんやかんやあって、最終的には人を殺すピタゴラスイッチ」となって、僕の頭を撃ち抜くのではないだろうか。迂闊に小石も蹴られないし、白線の上だけを通って家に帰ったりできない。もう一歩たりとも外出したくない。外は危険だ。仕事などもってのほか。

 

そういえば4年ほど使った携帯をいよいよ買い替えたのだが、これが非常に使いづらい。指紋認証はないし、予測変換も大馬鹿。文字も打ちづらい。顔認証もマスクのせいか認証されない。それどころかマスクをしていなくても認証されない。おい、俺の顔は顔ではないのか。この細い首に繋がっているものは一体なんだというのか。見るに堪えないツラだというのか。ツラ。ヤバ。人は辛いと偏差値が下がるのか。

 

労働環境だけはなんとか改善したい。しかし、新年始まって3日で10時間の残業。雪のために早く帰った日もあるのにこのザマ。困った。一向に改善される道筋が見えない。早く辞めねば。一人気炎を吐いたところで限界があるのは昨年半年でよくわかった。変えられないものは好きになるしかないが、変えられるものは無理に好きになろうとしなくてもいいのだ。人間関係も然り。

 

もう一つあえて「死なない」という目標、もといフラグを立てておくか。正解は一年後。