よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

染み

転居が迫っている。そもそも年内に引っ越そうとは考えていたのだが、仕事で異動があり、まったく予想外の、承服しかねる転居を迫られることとなった。更に異動先の建物も移転最中で、公私共に引っ越しを強いられることとなった。慣れない異動先、嫌な人間関係、荒れる生活。心身は容易に追い詰められ、つらい時間が続き、辞世を試みたほどだった。

 

食器、衣類、細々としたもの。引っ越しのために部屋のものを段ボールに梱包していく。棚が空になる。梱包した箱は棚より一回り大きく、元あった場所に戻らない。行き場をなくした段ボールが床に置かれていく。その上に更に段ボールを積み上げていく。部屋が段ボールで埋め尽くされる。辺り一面が茶色に染まる。空の棚、段ボール、段ボール、空のクローゼット、段ボール。僕はもうすぐこの家から出ていく。

高く積まれた段ボールを眺めながら、どう詰めるか判断に困り手が止まる。コーヒーメーカー、スピーカー、食品。一度手を止めると、不意に腰が痛いことが気になりはじめ、床のごみが目につくようになる。掃除をしながら時計を確認する。2時間かけて通勤しており、5時には起きなければいけない生活が、かれこれ1ヶ月以上続いている。かといって早く帰れるわけもなく、帰りは22時になる。未だに遅刻したことはないが、心身ともに限界だ。早く寝たいのに、思ったより時間が過ぎている。

 

疲れと去来する馬鹿らしさ、日頃の疲れに負け、ベッドに座り込みながら部屋を見渡していると、不思議な感覚に気づく。自分の家のはずが、どこかにお邪魔しているような気持ちになってくる。

部屋に多かった漫画、本。普段部屋を圧迫していたそれが茶色の段ボールに変わる。この家から僕を構成する要素が消えてしまった。替わりに、こぼしたコーヒーの跡があらわになっている。自分の家を認識できなくなったのはそのためだろう。

 

7年前はもう少し綺麗な家だったはずだ。それでも、中途半端に貼られたステッカー、壁や床の小さな傷、そんなことが愛しくすら思えてくる。

僕はここを気に入っていた。この街を、この生活を。この家の痛んだ床を。

思い出されるのはこの家で遊んだ人、よく行く焼鳥屋、バッティングセンター。新しさはないがもう一度行きたい場所。この街でやり残したことが、きっとある。

 

通勤、仕事、通勤、梱包、手続き。ただ世話しなく日々が過ぎていく。やりたかったこと、行きたかった場所を置き去りにして。僕はこの街から出ていく。さよならもいわずに