よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

さよならぼくのiPod

Bluetoothという見えない線で繋がれたイヤホンから、ラリー・カールトンのRoom335が流れている。机に向かうときに重用しているこの曲を好むようになったのは、高校時分の正月だった。今年の曲を決めようとiPod nanoをシャッフル再生し、一発目に出てきたのがこの曲だった。あれから16年、折に触れてこの曲を聞いてきた。

Room335 - Larry Carlton

 

スマホでニュースサイトを眺めていると、iPodの販売が終了するという記事が目に入った。(iPod touch販売終了へ。「iPod」20年の歴史に幕 - Impress Watch)

Amazon Music Unlimited、いわゆるサブスクで音楽を聴きながら読んだその記事は、とうとうその時期が来たか。という思いと、長年親しんだ人間に当然のように去来する寂しさがあった。iPodは思い入れのある製品のひとつで、初めて購入したApple製品でもあった。

 

初めてiPodに出会ったのは中学生の頃だった。新しい物好きの友人が持っていて、それは自慢気に「これにCD100枚以上の音楽が入っているのだ」と説明してくれた。僕はMDプレーヤーにイヤホンコードを巻き付けながら、これがあればもうMDを何枚も持ち歩くこともなく、聴きたい曲を聴きたいときに聴けるのかと羨望の眼差しで眺めた。

それから長い間、僕の持ち物にはiPodがあり、携帯や財布と同様、外出時に欠かせない持ち物となった。今までに何台のiPodを買ったかわからない。容量が小さくはなるが、iPod nanoが一等好きだった。小さくて、軽くて、持ち運びやすい。自分と外界を断絶するために1万曲以上をせっせとiTunesに落とし込んだ。有線のコードを絡ませながらも、一瞬も手放すことがなかった。みんなが携帯で音楽を聞くようになってからも、バッテリーや音質の問題を上げ、頑なにiPodで音楽を聴き続けた。

 

今となってはCDをiTunesに取り込むこともないし、それを待っている手持ち無沙汰な時間を持て余すこともなくなった。誰かと音源を貸し借りすることや、勧め合いをすることもない。

時折サブスクに見当たらない曲が聴きたくなって、家のカウンターに無造作に置かれたままバッテリーが切れたiPod nanoを起動し、たまに音が飛ぶ曲を聴いたりする。それを味などとわかったような気取りをすることはないが、懐古主義者の僕にとってはなんだか感慨深いものがある。今のnanoが動かなくなったら、もう手にすることはないだろう。さよなら僕のi。