よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

2023年振り返りと渋滞について

今年もあとわずかとなった。年頭に立てた目標について振り返りながら、最近気付いたことなど。

 

いよいよもって生き絶えるのでは。と言われていた昨年をどうにか乗り越えたものの、しかし今年こそは生き絶えるだろうというのが専門家の見立てであった。実際、昨年の仕事やら行事やらが尾を引き、今年の上期は事態が改善されぬまま忙殺されていた。プライベートでも言葉にするのも憚られるほど悲しいことが起こり、どう処理したらいいのか今も分からぬまま。

 

異動してからここ数年、忙しいという話しかしていない。という話しかしていない。事実なのだから仕方ないのだが、人生が全然オモんない。人生はそもそもオモんないのだが、堪えがたいものがある。人生のイベントばかりが怒涛の如く押し寄せ、その濁流の中でかろうじて躰が四散せずに済んでいるのは、所々で現れる人の優しさや頼もしさに掴まり、流され、また掴まる。を繰り返せているからだろう。

 

この時期になると交通事故が増え、運転していると渋滞につかまることがままある。微動だにしないはるか前の車を眺めながら、わずかに進んでは、また停まる。

こういうときに思うのは、同じ距離を進むときに同じ時間を要するなら、次のどちらがいいのだろうかということである。

・あまり停まらずに、のろのろと少しずつでも進む

・発停を繰り返すものの、進むときは一定のスピードで進む

どちらがいいのかは、個人の気性に由来するのではないだろうか。ちなみに私は遅くても進んでいる実感を得たい。

 

ところで、ただただ停滞していた僕の人生は、ここ数年のうちに急速に進んだ。全く止まっていたと思っていたが、牛歩のように少しずつ進んでいたものが、まさか虎のように千里を駆けることになろうとはという気分である。今年の総括と併せて一部を振り返ろうと思う。

 

・労働環境の改善

 転職した。来年度から別の職場へ。同期が若い。これについては改めて書きたい。

・引っ越しに備える

 来年になったので、これから。とは言っても、梱包もお願いするパックにした。

・死なない

 死ななかった。死んでいたら死んでいるところだった。

 

なんとか目標を逸脱することなく乗り切ったという感じである。

『人生のイベントは人生ゲームのように1マスに1つ用意されているわけではない』という友人名言が刺さるような年だった。そういう年齢だということもあるのかもしれないが、なんだか人生のイベントを経験していくと、自分がマトモな人間になったのではないかと勘違いしてしまう。

 

今年もお疲れさまでした。読んでくださった方、ありがとうございました。良いお年を。来年またお会いしましょう。それでは(なんて言っていたのに、あんなことになるなんて…)