よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

そして老いた母は言った

先日誕生日を迎え、30歳になった。三十路になった気分はどうかと言われ、応えに窮してしまった。昨日の地続きとして今日があって、自分としてはなにも変わった気がしない。けれど、20歳のときほどではないにせよ、それは確実にひとつの節目であった。せっかくの機会になにか意味を持たせるのもいいのかもしれない。

逆に二十歳になったときはどうであったかと考えてみれば、酒が飲める煙草も喫めるようになったとありきたりなことしか出てこない。与えられた意味をそのまま享受していただけだった。いずれにしても当時の私は前日と変わらず不真面目な大学生で、学校にいるより家にいる時間の方が圧倒的に多かった。愛しいほど無益な時間を過ごしていて、二十歳に意味を持たせたのは自分ではなく周りだった。

 

今年は5月も盆休みも帰省しなかった。誕生日の一週間前、母から連絡があった。珍しくこんな状況でなければ今回は帰ってきてほしかったという旨のことを言っていた。

老いた母は言った。

「今日で定年退職。明日から老後の生活です。ほっとしています。やりきりました。」

素直な一言一言に特別な意味を感じた。母になにを言えるのか悩んだ。息子として、人として、見合う言葉をかけねばならないと思った。私は勤めて8年が経った。母は何年だろうか。自分には想像もできないほど長い月日だった。母の人生が自分のもののように感じられて、敬意を払わずにいられなかった。やりきったと言える格好よさ。今の自分には生まれ得ない感情。万感の思いというのはきっとあの状態を言うのだろう。

 

家族の私が言うのも気持ちが悪いが、母は実年齢よりも若く見え、私よりもバイタリティがある。時々自分よりも長生きするのではないかと思うことさえある。会う度に新しいことをしている。躰にいいらしいから吹き矢を始めたと言ったとき、私は大いに喜んだ。こうでなければいけないと思った。きっと長生きするだろう。

 

私もなにか新しいことをひとつ始めてみてもいいかもしれない。三十路というのを言い訳に、逃げていたことに手を出してみてもいい。変わらない日常にひとつの目印として三十路があるのかもしれない。地続きのまま気付かぬうちに死ぬのも味気ない。いつか自分が万感の思いを感じられた日に、母にかけた言葉がどんな意味を持ったのか答え合わせを楽しみにしながら。