よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

なぜか今日は、涙がこぼれそう

仕事をしていたら、1件のメッセージがきた。その中身を確認した俺は小さく声をあげて、そのまま動けなくなった。今日、チバユウスケというヒーローが亡くなった。

それはチバユウスケという世界の終わりだった。

 

チバユウスケを知らないという方は、映画THE FIRST SLAM DUNKのオープニングLOVE ROCKETSを歌ったThe Birthdayのボーカルです。といえば、わかる人もいるかもしれない。

 

俺が初めてチバユウスケを知ったのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの頃で、それは音楽を聞き始めの、片田舎の中学生だった俺を痺れさせるには十分な格好よさだった。友人に教えられたんだか、クラスにいた熱狂的なファンに勧められたんだか詳細は覚えていないが、その衝撃だけは覚えている。当時近くにあったGEOでレンタルした、音飛びするCDを何度も聞いた。音飛び自体は苛つくのだが、誰かが音が飛ぶまでこれを聴いているのだと言うことが嬉しくもあった。

高校生になると、ちょうど12月に入ってクリスマスの雰囲気が漂うこの季節に、ROSSOのシャロンを聴くことにした。"サンタクロースが死んだ朝に"から始まるこの曲はルサンチマンの俺にとって特別なものだった。この季節はシャロンの季節であり、同時にチバユウスケの季節でもあるのだ。それは昔も、これからも変わりがない。

大学にあがると、酒を飲みながらカラオケに行くことが増えた。歌がうまいわけでもなく好きでもない自分にとって、カラオケは苦しい時間も多かった。喉の弱い俺はすぐに声がしゃがれるから、そうなったら声質が近くなるチバの歌を歌った。サークルのやつらがそれを褒めてくれたのを今だに覚えている。それは俺にとって特別な褒め言葉であり、カラオケをいいものにさせてくれる魔法のようだった。チバユウスケに助けられたと言っても過言ではないと思っている。

初めてチバユウスケを見たのもこの頃で、2009年のZepp仙台だった。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのDVDで見たチバも格好良かったんだが、生はやっぱり最高に格好よかった。そのときに買ったThe BirthdayのTシャツは、隙があれば自分の誕生日に着るのが習慣になっている。

大人になると、You Tubeでチバを見ることもあった。MVだけでなく、南海キャンディーズの番組にThe Birthdayが出ている動画だったり、伝説のMステの動画だったり。チバはいい年のとり方をしていて、俺もそうなりたいと思いながら見ていた。

 

先に述べた映画スラダンのLOVE ROCKETSは始まった瞬間に泣きそうになった。曲の良さと、嬉しさだったんだと今ならわかる。チバユウスケがいなくなったこのくそったれの世界で、なぜか涙がこぼれそうになったんだ。

でも、まあ、長生きしなかったのはチバらしいと思うことにするよ。さよなら最終兵器

 

 

世界の終わり / THEE MICHELLE GUN ELEPHAN

 

シャロン / ROSSO

 

LOVE ROCKETS / The Birthday