あれは果たしていつのことだったか。ある日を境に、私の菊門はマジックカットのごとく、どこからでも切れるようになった。いや、マジックカットが「どこからでも切れます」と豪語する謳い文句に、我々人類が幾度となく裏切られてきたことを考慮するならば、我が菊門のマジックカットぶりはマジックカットよりもマジックカットであり、特許に値するのではないだろうか。
以前一度切れてからというもの、人体にあるまじき気軽さで切れるようになった。今でも覚えている。初めて切れたとき、初めてであったにも関わらず(裂けたッッ!!)と直感した。まるで話に聞いていた人とすれ違ったとき、(件の人間はきっとあいつだ)と直感するように。あるいはぶつけた脚が後でどれほど青くなるかを正確に予見するように。あのとき私は直感的に、私のサーモンピンクの可愛らしい菊門が、悪魔の両手で左右に引き裂かれる映像が脳裏に浮かんだ。これがきっかけとなってこのまま躰が真っ二つに裂けてしまうのではないだろうかとも思われた。
先日、諸般の事情で勉強していたところ、久しぶりに『命題』に触れた。命題とは真偽の判断をする文章や式のことである。ポイントとして対偶(逆の裏)がひとつの判断基準になる。
命題「AならばB」
であれば、
逆「BならばA」
裏「AじゃないならBじゃない」
対偶「BじゃないならAじゃない」
となる。
私は黄色いパッケージに黒で力強く『ボラギノール』と書かれた軟膏を手にしながら、「痔にーはボラギノール♪︎」と口ずさんだ。このパッケージを思い出してほしい。黄色に黒。自然界で危険を表す色。力あるもののみが許される配色だ。ゆえにこの曲は痔を撲滅せんとの確固たる意思の表れであり、痔へのレクイエムなのである。今に見ていろ痔!貴様はこの軟膏によって消滅するのだ!
そこで私はふと気付いた。『痔にはボラギノール』は命題である、と。つまりこれは『痔にはボラギノール(が効く)』という意味だろう。そしてそこに気付いてしまったからには確かめねばなるまい。この命題の真偽を。
命題「痔にはボラギノールが効く」
逆 「ボラギノールが効くなら痔だ」
対偶「ボラギノールが効かないなら痔じゃない」
なんだか穏やかではなくなってきた。この対偶は真でいいですよね?ね?ボラギノールを塗って幾日。これは効いてるよね?効いてるんですよね?効いてますか?おーい。消滅してますかー?私は痔ですか?裂け痔?痔以外の何かですか?躰が裂けちゃう感じのアレですか?助けてください。もう下腹部まで裂けてきました。裂け痔なんてないですよね?プラナリアみたいに分裂するのか?
人の菊門を笑うな。