よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

ただおめでとうと言いたいだけ

友人が結婚する。正確には既に婚姻関係にあるのだが、この度結婚式を挙げることとなった。

最近献文に凝っている。祝い事に際し、なにかひとつ慶びの献文でもと思ったが、しかしどうにも言葉が出てこない。まったく不思議なことだ。無関心というわけでは当然ない。仕事で圧迫されているとはいえ、最近の私生活のほとんどは彼らの結婚式について考えている。率直に僕が感じていることは、「お前らの結婚式を一番楽しみにしているのは確実に俺だ」ということだけだ。

 

新郎たる友人だけでなく新婦とも長い付き合いになっている。より感慨深い、なんだか特別な言葉のひとつも出そうなものなのだ。しかし労働によって参っているせいか、この前酒を飲みながらバイオハザードやったの楽しかったなとか、あいつらの家に置いてある歯ブラシをそろそろ新調しようかとか、そんなことばかり考えている。

これはたぶん、僕と彼ら夫婦が非常に近いところに存在しているからなんだろうなと思う。近すぎると思考がまとまりにくいのかもしれない。言葉が出てこないことは悔しいが、仮定を正とするならこれはありがたいことだ。彼らとの思い出はたくさんあるし、少なくとも毎月会っているし、連絡も頻繁に取っている。どれかひとつを軸に書くのはなかなか難しいのだ。軸を強いて言うなら、僕なりの愛である。

結婚式なんて晴れ舞台に私のような陰気な人間を呼んでくれるだけでなく、さらにお手伝いなんて面白そうなことをさせてくれる彼らに感謝しているし、彼らの結婚式だからこそ手伝いたいとも思えるのかもしれない。僕は彼らのこととなると随分甘くなるし、面白いと思えてしまう傾向がある。

 

こんな時期だ。およそ彼らには彼らなりの葛藤や不安があって、参加できなかった人にもやむにやまれぬ事情があるだろう。それは否定しない。しかし僕は彼らの準備を聞いていた。たまに顔が陰った。大変なことだったろう。僕は彼らの苦渋の決行の意思を尊重したい。例え式の参加者が僕だけになろうとも、最前列で見ていたい。

 

当日は式が滞りなく進み、後日それを肴にまた酒を飲みながらバイオハザードをしたい。そんななに食わぬ日常をしに近々お邪魔したいと思う。僕はたぶん、友人のかしこまった姿に笑ってしまうだろうし、新婦の花嫁姿に思わず目を見張るだろう。

取りあえずまだ新幹線も御祝儀袋も用意していないので、彼らとのことをぼんやり考えながら準備しようと思う。