続き
「岳」というのは、「山」の上に「丘」があることからも、より険しい山に使われる。というようなことをどこかで聞いたことがある。 加えて、僕が嬉々として出張かこつけ旅行の話をすると、人はニタリと笑いながら、口々に「山に登れ」「一人で陶芸体験に行け」「いいや蕎麦打ちだろう」と言ってくる。まるで僕は君達のおもちゃじゃないか。
日曜はギリギリまで寝ていた。伊勢神宮を歩き回った疲れが深刻に残っている。何をしようかベットの上で延々と考えていた。伊勢神宮は行った。今から移動して、ネタ作りのためだけに陶芸体験や蕎麦打ちに向かうのも何か違う気がする。他県に行くのも時間がないし、新幹線のある土地でなければ面倒だ。
色々と考慮し、湯の山温泉駅からバスで御在所岳というところに向かった。山だ。いや、岳だ。山など誰が登るものか。男は黙って、岳。帰宅までの移動時間を鑑みると残念ながら一人志摩スペイン村や一人ナガシマスパーランドはキメられなかった。さりとて行きたいところがなかったし、山の方にいけば紅葉でも拝められればと思ったからだ。ちなみに何度でも言うが、山なんか別に好きじゃない。岳だって好きじゃない。麓までバスで10分だというから、まあ”スーツで登山”のいつものネタになれば。くらいの感覚で乗り込んだんだけど、バスが一向に進まない。
渋滞しているのだ。三重の人口が全てここに集中しているのではないかというくらいに車が並んでいる。岳に向かって。土曜の伊勢神宮ならば混んでいても納得ができるが、なんで日曜の朝にみんなが岳に向かっているのかがわからない。どうなっているんだ、三重。わからないぞ、mie。
しかもバスの中は家族連れと、登山フル装備の元気そうなご老体。相変わらず一人で、相変わらずスーツの僕はいたたまれないほどの疎外感。俯く。あと外人さんグループ。どうなっているんだ、外人。日曜朝は岳に向かうのか、Gaijin。
10分だったはずの道のりが既に30分を過ぎた頃、昨日寒かったのを思い出して天気を調べてみた。ちなみに土曜の伊勢神宮は、雪でも降り始めるんじゃないかってくらいに寒かった。風も冷たかった。
おいおい、いい加減にしてくれ。ふざけているのか?
バスがようやっと着いて、そこからロープウェイまで軽く徒歩。ちなみにこんな石段を登らなければいけない。石段?ほぼ90度に見えるんだけど、これ崖じゃない?本当?なんかの間違いじゃないよね?途中で脚がガクガクしてきたよ?
心臓破壊の石段。
ちなみにバスを降りてすぐ、石段までの道に、『涙橋』なるところがある。
涙橋縁起
元禄年間の赤穂四十七士の(中略)大石内蔵助良雄は(中略)人目を忍んで東海道鈴鹿峠を避け、密かに武平峠(湯の山温泉上流)を超えたことは秘められた事実として知られている。(中略)物見遊山を装った大石は、愛人小柴太夫こと阿軽を伴って湯の山を訪れ同士の集まるのを待った。夜半になって人の寝静まる頃はじめて阿軽にその意中を打ち明け、涙ながらに別れを惜しんだのがこの橋で、後の世にいつしか涙橋と呼ばれるようになった。
そしてこの隣には、こんな看板があった。「縁結び」だそうだが、上記の涙橋の由来の正面にあるのは大丈夫だろうか。そういうボケなのだろうか。きちんとツッコんであげたいのだが、ボケでいいんだろうか。不安だ。涙ながらに別れるのではないだろうか。
あなたの願いが叶いますように!
これを見た大石内蔵助と 阿軽の気持ちはどうだろう。涙ながらに別れた橋の目の前に縁結びの看板を置かれるとは。僕だったら討入っちゃうよ。
石段を白目で登り切るとロープウェイ。「15分の空中散歩」ができるらしいのだが、これもまた込み合っている。長蛇の列だ。朝ゆっくり寝ていたことが、かなり時間を切迫している。これに乗って往復していたら、帰れなくなってしまう。しかもロープウェイは小型で、もしかしたら家族連れが笑い声でいっぱいにできる容量だ。そこに「一人だから」という理由で相席になろうものなら、「楽しい家族の15分の思い出を歪なものにした」と同時に圧倒的気まずさが出来上がるに決まっている。その幸せを潰すことと、家族の困惑した視線を考えると頂上には迎えなかった。
右端にロープウェイが見切れている。
結論から申し上げよう。紅葉はまだ!んで寒さに震えていただけ。三重の山奥にはユニクロはないのか!どうなっているんだ、寒い、寒すぎるぞ、三重。スーツとセーターでちょうどいい天気にしとけ!この後適当に飯食って名古屋戻って新幹線で爆睡して帰りました!なんだったんだいったい!
もう三重には行かねえ。