よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

春の雨

暖かい日が続いたと思ったら、突然冷たい雨が降った。油断していたために雨具はなかった。濡れた頭を拭きながら空っぽの冷蔵庫を開け放したら、振動音とともにファンがまわり庫内を冷やし始めた。何もない空間を冷やすなんて、つくづく無意味だ。仕事なんて、そんなに必死にするものじゃない。

 

いつもの電車のいつもの車両から降り、ここ数年で変わった駅前を抜けると見慣れた道を歩く。信号を渡って橋から辺りを眺める。遠くのビルの窓がコピーしたように並び、そこから規則正しく明かりが漏れているのが見える。新しくできたコンビニが暗かった道を照らしている。橋を渡って家に帰る。模様替えをしたことがないから、家の景色が変わったことはない。外だけが少しずつ変わっていくのだった。この街は住みやすく変わっていく。その利便性が気に入っていた。

ベッドに横たわって窓の外を眺めると、向かいのマンションに早咲きの桜が咲いている。あの木に気がついたのはいつだったか。近くの公園に咲いているものと同種だろうか。8年近く住んで、公園の木が梅でなかったことを知ったのは先日のことだった。ところどころ花が散って裸の枝が見える。雨が掃除した窓ガラスを汚す。春の雨が花をさらっていく。

 

違っていてほしいと祈る気持ちを嘲笑うかのように異動を告げられたのは先週で、脱力感や虚無感が心に去来した。抗いがたい状況を前に、頓挫した予定や中途半端になるであろう計画をぼんやりと眺めて、つくづく馬鹿馬鹿しいと思った。温めていた仕事、軌道に乗りそうな生活。すべてがどうでもよくなった。理解はしたが納得ができていない。いつかは異動するかもしれないという可能性について考えたことはあったが、実際異動を受け止めるのは難しい。社長賞を取るくらいには貢献していたのに、あまりにもあっけない。いったいなんだというのだ。

 

異動に関する書類、あるいは連絡事項がパソコンに流れ続けてくる。やる気の起きない僕はそれを眺めながら、ただ無意味に、状況が好転することを祈り続ける。喜びも怒りもない。諦念。ただそれだけが横たわっている。会社の机に向かって、何をするでもなくため息と時間だけが流れていく。

土地勘のない場所の地図を眺めて、どこまでが通勤圏内なのか、どこが住みやすいのかを考えているうちに意識がぼんやりしてくる。なにも頭に入ってこない。

せっかくの春がただ流れていく。雨が思考をさらっていく。