よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

女子理解力

先日、憎き上司から「常識がないな」と言われた。(あ?テメーもそうだろうが!)と思いつつ、そういえば数年前友人に「お前は知識はあるが常識がない」と言われ、思わず笑ったことを思い出す。そうかどうやら僕は常識がない。

 

次いで「お前は女子理解力がある」と言われた。どうにも女子力とは異なるものらしい。女子理解力。わかりそうで掴みどころのない表現。この概念を理解するために、まずは女子力について考えてみたい。いずれにせよ女子力などというものが、そもそも前時代的であるという言わずもがななことは一旦置いて。

 

いわゆる女子力なるものは「みんなにサラダを取り分ける」、「自分に似合う化粧を知っている」などだろうか。女の子らしさ?もしくは田中みな実御大?女子力って戦闘力?男子力って臭そうじゃない?私はカフェラテより豆乳ラテを好む。ホットヨガはしない。たまに半身浴をして、ホットワインにジャムを溶かし、そこに果物を浮かべる。うーん、かわいいところがある。これは女子力か?女子理解力か?

てか、そもそも女子力ってなに?ただの都合のいい願望じゃない。あたしたち女子は男たち、おじさんたちにいつも「女らしさ」を押し付けられてばかり。ちょっと意見を言ったら「女のくせに」。焼酎水割りを頼んだだけで「女っぽくない」。ちょっと重い荷物を持つと「女のわりに」。そのくせ「女だからって甘えるな」ですって。あたしたち女は「女」という概念に縛られている。もううんざり。もっと自由でいたいの。あたしたちはジブンを解放しなくちゃいけない。

女子力なんてものは本当は気にしたくなんてないんだけど、でも、気になる男の前ではつい女の子が出てきちゃったり。

 

……ハッ!!ついうっかり俺の中でまどろむ女子が、完全に意識の主導権を握っていた!

もしかしてこれが女子理解力か?

女子っぽいことをして女子に心を寄せるとき、わたしは概念として女子になるのだ。いや、待て。こんな女子はいるのだろうか。もしかしたらこんな女子は想像上の生物で、現実には存在しないのではないか。媚びたこんなやつは男女どちらからも淘汰されていくのではないのではないか?しかし、概念としての女子がわたしの中に確かにあった。

このわたしの中のあたしがたまに顔を出す。

あれ?なんかaikoっぽくない?そう、女子とはaikoなのだ。そしてわたしの中のaiko(=女子)を理解すべくあたしが目覚めるとき、わたしはあたしになりaikoになるのだ。ちがった。なっちゃうの。