よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

省略のルールを守る

「本気」という意味の「マジ」が、いつの間にか『マ』一文字に省略されたと聞いたとき、私は大層驚いた。「了解」も「りょ」だったものが、『り』にまで略されているのもすごい話だ。そしてこうも思った。「ヤバい」がヤバいほど数々の意味を内包し、会話がヤバいのみでなされるこのヤバい状況を鑑みるに、いずれヤバいは『ヤ』のみで遣われるのではないか、と。例えばこうだ。

ある種の暗号であり、私のように言語に頼る旧人類には理解の及ばぬ、高次元のやり取りがなされるようになる。略語とは普段の言葉遣いよりも、よりシビアに双方の認識の合意が必要になるのだ。

 

閑話休題

マック・マクド問題。マクドナルドをどう省略するかという論争だ。これについては私はマックの立場を取っている。小さい頃から慣れ親しんだという個人的意見もある。また、「朝マック」「ビッグマック」というように、公式がマックを自称している点からも、マック呼びが優勢なのではないか。と愚考する次第である。ちなみにマックポークが一番好き。

ポカリスエットをポカリと略すのには異論はないと思うが、一方でアクエリアスはアクエリ、アクエ、アクアなど、様々な呼び方があるようだ。私はアクエリの立場を取る。ここまでくると、もう最後の「アス」まで言ってやりたい気もするのだか、楽を覚えた人間は後戻りはできないのだ。ちなみに母は「アック」と言う。マックからの影響が見える。

 

例えば木村拓哉であればキムタク、マツモトキヨシであればマツキヨ。モスバーガーはモス。というふうに、略称というのは、言葉の頭を取って組合せるのが基本のパターンであると考える。

一郎という名前の人間が学年に複数いた場合、かつ名字も珍しいものでないのであれば、「名字」+「名前(この場合は一郎)」=略称(あだ名)で呼ばれるのは想像に固くない。つまり、サトイチ(佐藤)、スズイチ(鈴木)、タカイチ(高橋)、といった具合だ。

 

そして私に今、難題が降りかかっている。これをイトーヨーカドー問題と呼称しよう。私はイトーヨーカドーを「イトヨー」と呼ぶ。理由は簡単。名前の頭を取ったからである。しかし友人、会社の同僚は「ヨーカドー」と呼ぶ。これは

イトーヨーカドー=「イトー」+「ヨーカドー」

の後半の頭を取っている。この異常さをお分かりいただけるだろうか。ダウンタウン松本人志を「まっちゃん」ではなく「ひとっちゃん」と呼んでいるということに他ならないのだ!これでは伝わらない。省略の際にはお互いの認識に合意がなければならないのにも関わらず!「マ」や「り」が伝わらないおじさんがいるのは、その認識の合意がないからである。

 

え?公式が「いってみヨーカドー?」と言っている?知ったことか。私は断固反対する。

クレーマーおじさん?なんかの略語?