よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

落書き禁止のむなしさ

家の近所を歩いていたら、入ったことのない中華屋の「冷やし中華始めました」という貼り紙がなくなっていたことに気がついた。だんだんと寒くなってきた今ならなんだろうか。「冷やし中華始めました」の対義語はわからないが、コンビニの「おでん始めました」がそれにあたるだろうか。しかし始めた報告はあっても止めた報告がないのは、一体どういう了見なのか。社会人としていかがなものか。仕事を舐めているのか。責任者出てこい。日頃のストレスをぶつけさせろ。

 

張り紙には、考えてみるとどうにも違和感があるものがある。先日一般的なビルのトイレに行った際、次のような注意書きがされてあった。

「備え付けのトイレットペーパーを一度に大量に使用したり、水洗の水を大量に流すと詰まりを起こし、便器から水が溢れ出ますので、ご利用の際は十分ご注意ください

当表示への落書禁止」

 

確かにトイレットペーパーを一度に流すと詰まることもあるだろう。間違っていない。こんな当然のことをいちいち注意喚起しなければならない人たちには同情をしたいくらいだ。一見すると問題なさそうだが、最後の一文の「当表示への落書き禁止」というどうしようもなさ。

いちいち注意喚起もここまでくるのかという感じである。訴訟大国アメリカの注意書か。落書きする人など本当にいるのかと疑いたくなるくらいだ。トイレの注意喚起にどんな落書きをするというのか。

しかしトイレという空間は落書きしたくなるところなのかもしれない。イメージだが、公衆トイレには卑猥な落書きが多い気がする。逆に落書きが多いところといえば、トイレか高架下が想像される。どちらも衛生上汚い場合が多いことが、より汚してもいいという考えを助長し、人目につきにくいことが更に拍車をかけるのだろう。昔読んだ話で、トイレの落書きで知らない人とやりとりをするというものがあったが、とんだ君の名は。だ。まったく、お前は誰だとでも書きたいくらいだ。君の名は。を見ていないから、本当にトイレの落書きでやり取りする話だったら申し訳ない。

どうですか、今更君の名は。の話なんて。逆にちょうどいいでしょう。誰だ、この文章が便所の落書き以下だと言ったやつは。責任者出てこい。君の名は。