よかれと思って大惨事

よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

あなたについて何処までも

もーもたろさん ももたろさん お腰に付けた きびだんご ひっとつー わたしにくださいなー

 

どうもこんばんはどうも、僕です。

のっけからみんな大好き、とっとこ桃太郎のテーマソングを口ずさんでしまいました。

というのも来週一週間、また講習会で兵庫県に行くことになりまして。前回はいい機会とばかりに鳥取、それも砂丘を中心に攻めたのは記憶に新しいことですが、今度もいい機会とばかりにどこぞに旅行してみようかと思っておりまして。

方方見聞録・兵庫&鳥取1 - よかれと思って大惨事

方方見聞録・兵庫&鳥取2 - よかれと思って大惨事

 

出張の楽しみって名産品とか食べ物じゃなくて、それにかこつけた旅行ですよね。旅行といっても気晴らしで、自分探しとかそういうのはあり得ないですからね。そういうやつは探したまま一生を終えるからね。

さて、冒頭に戻って。今回は岡山県を攻め落としてみようかなと思っていたら、無意識に桃太郎を大熱唱してしまったというわけですよ。岡山といえば、最近au御中のCMでもお馴染み桃太郎。桃太郎といえばきびだんご。岡山ではぜひ年上豊満美女にきびだんごをいただき、宜しくそのまま家来になってしまいたいところですが岡山のアラサーの豊満美女の皆様、ごきげんよう。いかがお過ごしでしょうか。愛しています。

 

閑話休題

今週末はなんでも仙台市博物館和歌山県高野山の仏像が来るということで、遠路はるばる仙台に拝見しに行ってきたんですよ。弘法も筆の誤りでお馴染みの空海が開いたという高野山ですね。そこには国宝の童子像とか明王像とか、明王と見紛う五大力観音菩薩の掛け軸とかありまして、非常に楽しめました。なかでも運慶作の制多伽童子や清浄比丘童子は一際精巧だった。玉眼と呼ばれる仏像の眼に水晶をはめる技法があるんですが、それも相まってまるで眼差しが生きているというか、表情の肉感が現実味を増して、眼が合ったまま足が釘付けになるくらいの力強さでした。

 

そのあと2年振りに、友人Dと日本三大名瀑と公言している秋保大滝に行ってきました(三大名瀑については調べると諸説あるみたいですが)。2年前には友人Dと友人Dの彼女Mと行ったんですけど、彼女Mの証言によると、ちょうど2年前の海の日に当時付き合っていた彼女と別れた僕が、半ベソかきながら秋保大滝に単身突撃し、川底の藻に足を滑らせ、岩で足の裏を切って出血し、いよいよ全ベソかいていたらしいんですよ。まぁここまでで相当みっともないことに失笑していることと存じますが、今年はその続きがあるんです。

今年は2年経ち少しオトナになったので、滝への単身突撃はやめて浅瀬に足を突っ込み涼を取りながらばちゃばちゃやっていたんですよ。マイナスイオンを全身に浴びて。パワースポッツの恩恵にあやかろうと。

んで20分も遊んで、よしそろそろ帰ろうかと後方にいる友人Dのところへ歩き出したら、胸ポケットに入れていたサングラスが突然滝の方に単身突撃せんと身を乗り出したわけです。そして川の流れに乗ってどんぶらこ、どんぶらこと行方知れずになってしまいましたとさ。

まったくどうして僕はこうも。パワースポッツの恩恵ってのは一体なんなんだ。

 

月末はフジロック参戦のため、新潟の苗場に行きます。そのためにはできればサングラスが欲しいです。

繰り返しになりますが、来週末は岡山へ行きます。宮城から流れてきた僕のサングラスがどんぶらこと岡山に流れ着いていてくれたら、僕こと洗濯するお婆さんはすっと拾い上げ、サングラスをおもむろにかけてサングラス太郎として社会の鬼たちをばったばったとなぎ倒していくのにね。そして金銀財宝と年上豊満美女を得、彼女のご両親と仕合わせにくらしましたとさ。

めでたしめでたし。 

 

4人はさすがに入らない

さて、趣向を変えて今回はなぞなぞから始めましょう。

もんだい:会社に2本、社用車に2本、鞄に1本、家に1本。これなーんだ。

 

 

こたえ:『傘』

皆さんのような傘プロレタリアと違って、僕は傘に関してはブルジョワジーなんです。現在6本所持しています。実際はもうちょっと増えるかもしれない。一人暮らしでもちろん彼女もおりません。誰かのを預かっているわけでもない。単なる傘お大尽です。傘大名でございます。

なんで矢鱈めったら傘を持っているのかと申しますと、荷物が大嫌いだからなんですね。特に手が埋まってしまうのが大の苦手で、傘を持ち歩かないんですな。雨の予報だろうがなんだろうが「降らなかったら傘などただの荷物」とばかりに手ぶらで出掛け、そして帰りには雨に降られてしまうものですから、雨の日は大体コンビニに寄って傘を買い求める始末。傘の消費をこうして支えているのです。

ほんじゃあ出がけに降っているときはさすがに傘を持って出掛けるんですが、用が終わって降っていないとすぐに失くし、失くしと申しますか、まあどこぞに忘れてくる始末。その度にコンビニで新調し、かと思えば失くしたものがひょっこり出てきたりなんて。そういう不出来から結構持ってるんですね。

そんじゃあ折りたたみ傘を持てばいいんじゃないかってんですが、そういうもんでもない。社会人のたしなみとして社用の鞄には申し訳程度に入っているんですが、休日は鞄を持ち歩く習慣がないために傘はおろか折りたたみ傘も持ち歩かない。そもそも傘って雨に対する防御力が低すぎるじゃあないですか。やる気あんのかと。傘という字をよく見てみてくださいな。人間が4人も入っていやがる。入ってるけど、そんなに入るわけがない。だって一人満足に雨を凌げないことが多いんだから。

 

なんでも台風の影響で昨日はかなりの雨が降る。と聞かされていたものですから、出勤時は降っていなかったんですけれども、まぁたまには持っていってもいいだろうと傘を持って仕事に向かったんですね。会社にも社用車にもあるのに。

プラプラとお客さんのところに赴き仕事をしていたんですけど、有り難いことに昼間は一向に雨が降らずにいてくれて。夜になってなんとか無事に仕事を終えて、さあよし会社に帰ろうか。ってんで車に乗り込むやいなやざあざあと降り始めた。こらひどいってんでよたよたと初心者みたいな運転でもって会社に帰ったんですがどうにも降り止む気配がない。

 

人のいない社内で軽く事務処理をして帰路。雨が打ち付ける窓を眺めて最寄り駅に着くと、視界が白くなるほどのものすごい豪雨。すれ違うのはため息でも漏れそうな困り顔、眉間に皺を寄せながら傘を振り回す人。タクシー乗り場には長蛇の列ができていて、いつも暇そうなタクシープールががらんとしている。

 

そういえば、昨年の暮れにもこんな景色を見たことがあったんじゃあねえかって漁ってみるとやっぱり出てきましてね。  

 

お陰でこん時鞄に入れていた「反貞女大学/三島由紀夫」がぐずぐずになってしまいましてね。今でも少し後悔しているんですよ。

今回は鞄に「落語こてんパン/柳家喬太郎」に「機械・春は馬車に乗って/横光利一」と「最後の喫煙者/筒井康隆」を背中におぶっていたんで、こらぁおんなしことになっちゃいけねぇってんで自分が濡れるのもお構いなしに、傘でもって必死に雨風を凌いだんですよ。

スーツがびっしょり濡れて家に着く。鞄の中を検めるとなんとか御三方は濡れずに済みました。ほうら見やがれ、やっぱり4人は入らない。

 

センチメンタル状態におけるフラッシュバック現象

 2週間ほど前の水曜日ことだったか。仕事ばかりで身体も鈍ってきたことだし少し走ろうかとバッティングセンターから帰ってきて筋トレをしながら思い、筋肉の悲鳴を聞きながらワイヤレスのイヤホンを耳にはめ、ランニングシューズを履いた。トボトボ走りながらiPodをランダム再生にすると、Steely Danスーパーカーが続いた。そのまま10分ほど軽く外を流してから家へ戻ると、中学の頃の友人Kから連絡が来ていた。Kは北関東に住んでおり、年に2度ほど会う。そのうち1回はフジロックというのが定番だ。

Kからの連絡を要約すると、週末泊めて欲しいとのことだった。なんでも女と会うのだが、諸事情で都内の実家に帰れないので、どうせ会う人も予定もなく、ただ置物のように部屋で横たわっているくらいしかしないんだろう僕に白羽の矢が立った。とのことだった。

我が袋小路のような家はその前の週は東北の友人Dを泊めており、人との生活のリズムというかパターンがなんとなくできていた。反面、部屋の狭さも相まって共同生活から少し解放され一人全裸で置物のように横たわり土日を過ごそうかと思っていた頃だった。しかしこういう機会でもなければ人に会う予定など滅多にないので、まあ週末だけだし昼間もいないだろうからと快諾した。所詮1泊なのだし。ところが土曜の夜に来ると思っていたKは金曜の夜にやってきて、そのまま火曜まで結局4泊しやがった。

ーー例えば、だ。想像してほしい。袋小路で顔の濃い野郎2人の男臭い共同生活を。まさにそれだ。想像できなかった人は阿部寛北村一輝が袋小路のような一室で共同生活をしていると思っていただきたい。予想外にドラマになりそうなので、できればこっちで想像し直してほしい。

 

中学の部活の友人であるKは、飲んでいるときに部活の結婚した人たちの名前を挙げて「みんなあの頃からどんどん変わっていくが、お前は変わらないな」と言った。言外にはどうやら性格的なものにも言及しているみたいだった。それについては僕にも自信がある。「俺は変わらんよ。変わらん。そうそう変わってたまるか」と酔いも手伝って吐き捨てるようにわめき散らした。「そうだ、その意気だ。変わらない安心感がある」「みんなが変わりすぎなだけだろう。信念がないのだ、信念が」とまたもわめき散らした。本当は怠惰から、もしくは頭が固いから変わらないだけなのだが、それでは格好がつかないのでビールで言葉を飲み込む。

 

夜になると袋小路に帰ってくるKとは飲みに行く以外には特になにをするでもなく、4日間が過ぎていった。ここいら辺で、自分の人と時間を共有する能力が低いことに自己嫌悪し始める。友人Dくらいしか遊ぶ相手がいないから当然か。

5日目の火曜日、僕が仕事に行っている間にそいつはいなくなっていた。仕事を終え帰宅すると部屋は暗かった。思っていたより部屋は広く感じられなかった。

 

家に早く帰れた日に、またイヤホンをさして外を走ろうとした。どこかで聞いたAC/DCを聴こうとiPodをスクロールすると、そういえば随分前から入れてなかったなと思い出した。結局くるりを流しながら走った帰り、汗だくのままコンビニに寄って2,000円分の食料を買い溜めした。

 

コンビニからの帰り道、暗い道に差し掛かる。不意に中学時代の部活からの帰り道がフラッシュバックする。 

昔は激しめの音楽を聴き、コンビニにはほとんど入らず、スーパーで何をするでもなく友人たちと時間を潰していた。そういえば、昔から遅刻しないことがなかった僕が、いつからか人を待つ時間が増えた。

なあ、僕は本当に変わっていないのか?僕はそのままなのか?ぐるぐるとそんなことを考えながら野菜ジュースにストローをさした。

 

縁と賞味期限

4月下旬だったか、渋谷で凡そ5年振りに後輩に会った。大学生の頃に一緒にバイトをしていた、後輩というよりも友人のような人間だ。ここ5年ほど全く連絡は取っていなかった。連絡を取ったきっかけは、なんだかLINEのタイムラインとかいう不要なところに「横浜に出てきた」というようなことが書いてあり、初めてタイムラインとかいう不要なところが仕事をしたなと思った。なんでも大学院にいって、それから就職をしたような話らしかった。

彼とは仲のいいつもりだったのだけれど、二人で飲みに行くこともなければ、軽く飯を食う以外に時間を共有したことがなかったと思った。いつもはもう一人同僚がいて、それでうまく回っていたのだった。複数で行動するときによくある現象だ。

こうなると随分時間の空いたのもあって、無闇に強張り気持ちに暗い影を落とすのを感じた。話す内容をいくつか用意して、それでつまらなかったらいよいよ帰ってしまおうくらいに考えていた。そうなるといつも僕はつまらない決意を思って、しかし酒が入ると楽しくなってしまってそんな一種乾いた感情のこともしっとり忘れるのだった。

 

当日、彼も、そしてもちろん僕もそうなのだけど、学生の頃に比べて髪が短くなっていて、ギリギリお互いを認識できたくらいに、薄ぼんやりとしか覚えていなかった。少しの年月の寂しさを思った。

後輩が今年就職したことを思いだし、飲んだときに祝辞よりも先に「おい、御社に年上豊満美女はいねーのか」と恫喝したところ、呆れ顔で「そういう人はもう相手がいるし、そもそも年上どうこうとか言ってる場合ですかおい」と逆に言葉の暴力を振るわれた。本当に手加減を知らない。社会人としてあるまじき配慮のなさである。まだアラサーに片足の爪先を突っ込んだだけじゃないか。

半べそで加えて「”許すことは人生の贅沢であり娯楽だ”みたいなことを誰かが言っていたけど、優しさも同義の部分があると思うのだよ」とほぼ酩酊した僕はしち面倒くさく話しかけた。お互い出来上がっているのでよいのだ。

 

この世の中で一番贅沢な娯楽は、誰かを許すことだ。

伊坂幸太郎「魔王」

 

彼はなにか頭の中を探しながら、しかしまっすぐに僕を見据えて「……鈴木さんは優しいですけど、優しいというか、あぁ、自己満ですよね」と見つけた解を言い終えると満足げに日本酒をあおった。「なんだ、久し振りだというのに随分じゃないか」と笑うと、「僕たちはいつもこうだったじゃないですか」と笑い返してきた。なるほど確かに、その節はあるかもしれない。

優しさってのは「相手のために」が押し付けがましくなったら終わりだ。それは優しさではなく偽善だ。したいからするというスタンスでいいんじゃないだろうか。と声に出さずに自分を肯定する。

 

僕が5年も連絡のなかったことをからかうと「切れたと思ってて」とはにかんだ。面白いと思った。僕はここ数年、人間関係には賞味期限があると思っていたのだけれど、なるほどどうして。「縁が切れる」という表現もある。つまり、縁は賞味期限なのではないか?という等式が頭をよぎる。

 

そもそも、出不精で面倒臭がりな僕がわざわざ彼に連絡を取って飲みに誘ったのは、単なる懐かしさや興味本位などではなく。もちろんそれもあるのだけれど。バイトを辞めるときに寄せ書きのようなものをもらって、それがいつまでも頭から離れないからだ。

その寄せ書きには一人一人の嬉しい言葉がたくさん書いてあった。嬉しい言葉だけでなく面白いことも書かれてあって、人のことを、あまつさえ先輩を一言で表して「ヘビ」だの「太鼓持ち」だのと宣ったり、それは親しい人の許される表現で、とにかく僕にとっては思い入れがあった。そして彼の頁は曰く「(前略)関係をこれで終わらせたくないです」と書かれていて、嬉しさと小っ恥ずかしさのない混ぜになったものをいつまでも感じていたのを思い出した。この正直さが僕の胸をいつまでも打っていた。

 

大丈夫、大丈夫。まだ切れてない。君と僕との賞味期限はまだまだ先らしい。と独り言ちして、次の約束をして別れたのだった。

 

方方見聞録・兵庫&鳥取2

前回

da-shinta.hatenablog.com

 

おいおい、どうなっていやがるんだ。まったく、驚いたよ。遠い、鳥取は遠いんだ。君が想像するよりもね。姫路から2時間くらいだったかな。鳥取駅に着いたのは21時頃だったんだけど、周りには思いの外街灯がなかったよ。そんなに大きくない駅構内は、人がいないし、それに併設された土産屋らしき店舗は既にシャッターが降りているから、大きさ以上の広さが感じられたね。おかげで北口と南口、どちらにでも問題なくいけた。都会は人がたくさんいて疲れちゃうから、ちょうどよかった。なんだか田舎を思い出したよ。

そして静かな駅を見渡して僕は思った。これは面白いところに来たな、と。観光地っていうのは人がたくさんいる。東京、京都、大阪なんかは特に。都会ばかり、観光地ばかり行くのだけが旅行じゃない、そうだろ?観光地に行くだけじゃなくてさ、例えばその土地のなんでもないスーパーに入ってみるみたいなさ、そういう「自分は体験しなかった日常生活」を体験する、ってものいいものじゃないか。

それに旅行っていうのは自分探しも兼ねてるからね。アラサーに右半身をピタッと突っ込んだ状態だけど、人間ってそうじゃないか。おっと、その齢になってまだ見つけていないのか、みたいなことは言いっこなしだ。どこから来て、どこへ行くのか。自分は何者なのか。そういうのを一生かけて見つけることじゃないか、人生って。そして旅はその答えを教えてくれるじゃないか。手がかりになってくれるじゃないか。いや、違うな。違ったかも。

 

翌朝、ホテルから出ると少し肌寒くてね、僕はその時クールビズ。とてもじゃないけど、そのままでは耐えられそうになくて。西側というのは暑いものだと思っていたから油断していたよ。薄手のものを買おうと思ったんだけど、近くのビルにもイオンにも残念ながら服を売っているところを見つけられなくて、更に残念なことに貴重な午前を収穫のないまま消費してしまったよ。まったく無駄な過ごし方だったね。観光に来てスーパーに入るなんて、我ながら無意味な時間の使い方だと思う。

 

午後からスナバコーヒーに行って、そこから砂の美術館に行ったよ。この砂の美術館というところは、以前人に教えてもらったんだけど、これがすごくてね。

 

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わかるかな、 これが全部砂でできているんだ。このときはアメリカ編だったみたいでさ、それで自由の女神ってわけさ。そしてそびえる摩天楼。

 

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ハリウッドですね。マリリンモンローがププッピドゥしちゃってますね。

 

ほかにもゴールドラッシュの様子から、ナイアガラの滝やラシュモア公園の岩壁に彫られた4人の大統領の顔なんかもあって、それらの解説を読みながら進むと勉強にもなる素晴らしい場所だったよ。時代背景を考えながら見ていくと、見方が変わってくるっていうかね。

 

 そのあとはすぐ近くの鳥取砂丘に行ったよ。この頃には小雨が降っていた朝と打って変わって、空が晴れ渡っていて非常に気持ちがよかった。

 

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鳥取砂丘。見渡す限り砂、砂そして砂。

 

写真ではスケール感を伝えられないのが非常に残念なんだけど、日本とは思えなかったくらい未知の景色というか。さらさらの砂が、ただひたすらにどこまでも続いていく 。なんだか立っているだけで喉が乾いてくるっていうかさ。

スーツの人はまったくいなくて、みんなサンダル。僕はデキる会社員だからね。もちろんスーツさ。靴の中がジャッリジャリになったよ。地味に精神にキたね。でもそれだけ。残念ながら、そんなに面白いことは起こらなかったよ。

 

 

鳥取をあとにして、兵庫の城崎温泉に。ここは”外湯”というシステムがあって、宿の外にも温泉があるんだけど、たくさんの温泉を楽しめるって優れものでさ。難点は温度が少し高くて長湯できないことかな。

川が流れて、柳が風に揺れている。静かな街にカランコロンと下駄の音。非常に情緒的なんだけどね、僕が宿から出てきたら、なんていうんだろう、たくさんの浴衣の男女がひっついては楽しげなのを見るとね、どうしてかここを滅ぼさなきゃいけないという天の声が聞こえてきそうでね。もし僕が強大な力を持って、以って魔王をやるんだったらまずはこの一帯を滅ぼすだろうね。頭の隅を『こんな気持ちになるなら来なきゃよかったな』『湯上りの浴衣の女の子なんて最高じゃないか』『寂しいも楽しいも気のせいだ』という感情が反復横とびしていたよ。外湯もとても混んでいて、ニンゲンという猿が芋洗い状態でさ。あれには閉口だったね。

まあそんな気持ちで宿に帰ったらさ、少し笑ってしまうようなことがあってね。

 

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どうだろう、この寂しい修学旅行みたいな状況。たまらないだろ?笑ったあと少し泣いたね。

 

まああとは飲み足りない気持ちを抑えて、翌日お土産を漁りながら6時間かけて東京に帰ってきたって話さ。お土産をもらってくれる人たちがいるのが唯一の救いだったかな。来月も研修があるので、今度はどこに行こうかな。温泉は絶対行かない。

 

方方見聞録・兵庫&鳥取1

先週、今週と発狂して虎になってしまうのではないかというくらい忙殺されていた。

というのも、月末締めの仕事に併せ急ぎの仕事がいくつか入って狼狽していたところ、僕専用機として2年目の後輩が入ってきて、要領の悪い僕は教えながら自分のことを進めることが出来ず悪戯に時間だけが過ぎていったためだ。更には月末に1週間ほど兵庫出張が控えていたためにスケジュールが圧迫されおり、資格試験申込みも消印ギリギリで、とにかく仕事アレルギーのために日々アナフィラキシーで命の危機に晒されているこの僕が、土日も出勤するという緊急事態だった。と言いつつも、出張という名目ではあるが未訪問の地に想いを馳せては意識がフワフワ漂っていた。今回もきっとどこぞに行ってみよう。どうせここにいても誰も遊んでくれないのだから……

 

平日は仕事に行く以外は日頃家に籠っている。正確を期すならば、家の中での遊びに忙しい。そして家が落ち着く。だらけられる。いいことだが、少し刺激がないとも少し思う。前回の滋賀もそうだったが、仕事や誰かに引っ張り出されないとなかなか遠出をしない。

 

前回の滋賀回遊の際も同じようなことを感じているらしい。

da-shinta.hatenablog.com

 

今回は兵庫出張を機に、土日を使って兵庫県見聞録を。
先週火曜。昼休みをとる間もなく、午後までバタバタと仕事をして新幹線に乗り込む。いくつか未処理の仕事に少し伸びてしまった後ろ髪を引かれつつ、反面、それらから逃げたい気持ちも勿論あるのだが、如何せん東京から兵庫までは遠い。少し出るのが遅くなると、到着が日付をまたぐくらいの距離だということをなんとなく調べていた。

バタバタしたことと、自分の詳しくない分野の講習に少し不安な出張初日。五月蝿い上司と別れ部屋に着く。翌日の持ち物や時間を改めて確認し、バッグから荷物を取り出す。慣れた場所ならいざ知らず、どうにも出張初日は落ち着かない。

シャワーを浴びようと思う。ホテルの風呂場の排水溝が家の形と酷似していて、少し笑い、妙に安堵する。7階の窓を開けると、昼間と変わって幾分か涼しい風が入ってくる。駅のすぐそばなので、電車の音が聞こえてくる。そういえば実家も、夜になると電車の音が聞こえてくる。すっかり大丈夫だと思った。少し散歩をする。例えば、見覚えのある赤い看板。学生時代によく行ったチェーンの焼鳥屋。不安の正体は恐らく分からないということで、僕とはまったく関係がないという清々しさの裏側みたいなものだったらしい。それでも見渡せば、いくつか共通点があって一瞬でも怯えた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。知らない街で知らない人たちの生活が営まれていることに、どうしようもなく嬉しくなる。

案外、人はどうでもいいものに助けられているのかもしれないと思う。持ち物も人間関係も、いつもはあんなにこだわって選ぶくせに。とちょっと笑ってしまう。

時間が空いたらどこに行こう。土日は仕事が入っていないので、どこぞに脚を伸ばそうかしら。手持ちのタブレットで観光地を調べつつ、兵庫出身の知人に話を聞くと、特別見るようなものは何もないと返ってきた。まるで僕の地元と同じだなとまた笑ってしまう。

 

 

試験を冷や汗かきながらなんとか終えて、またも面倒臭い考えが芽吹く。今年は福島に行ってみたり、栃木に行ってみたり、京都にも行った。今回、京都は帰りがてら寄れそうなのだが、どうにもまた行こうとは思えなかった。2ヶ月前に行ったのだから妥当といえば妥当か。やはり行こうと思って行かないようなところに行ってみたい。

そう言うと上司は「面倒臭いな!捻くれ者が」と自分も面倒臭い人間であることを自覚した表情で騒ぎ立てていた。ということで思い立って、鳥取行きの特急乗り込む。京都などは「そうだ、京都に行こう」というスナック感覚で行けるところだ。ところがどうだ。「そうだ、鳥取に行こう」とはならない。実に興味深い。

砂丘だ。砂丘を見よう。スーツで。馬鹿と煙はなんとやら。スーツを砂まみれにするのは面白いのではないか。砂丘の砂を革靴の中に入れて持ち帰るのは面白いはずだ。砂丘は丘だ。登れるはずだ。スーツで登丘だ。近くの砂の美術館なるものが面白いと以前に人から聞いたことを思い出した。よし、やはり鳥取だ。砂丘だ。

 

前回比叡山に登ったときの記事。僕は学ばないぞ。絶対に、だ。

da-shinta.hatenablog.com

 

 流石に東京から離れたままでは帰りが面倒になるので、前回同様、土曜の夜に新幹線のほど近いところにあるような、どこぞの温泉にでも行こう。有馬温泉か。有馬っていうところがなんだか有名だった気がする。温泉はもう暑いだろうか。

 

THE OMATSURI SAWAGI

流れ星が見えた。どうやらゴールデンウィークが逝ったらしい。と思ってからすでに1週間経っている。休みというのはいつだってそうだ。どれだけ待ち望んでも彼らの命は短く、いくら大切にしてもすぐに消えてしまう。感覚的にはセミに近いかもしれない。平日という暗くじめじめした土の中で長い間休みを待っているが、休みという清々しい外の世界の命は短い。いや、この例えイマイチだな。そうでもないな。うん、ごめん。なんか違うわ。忘れて。

そもそもゴールデンて。ゴールデンウィークて。黄金週間。学生の夏休みはなんだ?プラチナか?プラチナマンスか?僕にもプラチナマンスをおくれよ。4半期に1回でいいから!白金月を!それともダイアモンドマンスか?あるいは、値段がつけられないラブイヤーとかか!?

 

ゴールデンウィークの締め括りは敬愛するMATSURIスタジオのライブだった。日比谷野外大音楽堂で行われたTHE MATSURI SESSION。野音に行ったのは初めてだった。ゆらゆら帝国野音でやったDVDを見て、なんとも気持ちよさそうなところだと思ってはいたが、実際に行ってみると想像以上だった。例えばフジロックのような草木生い茂る完全自然というわけでもなく、かといってサマソニのように隔離された街中というわけでもなく。木々に囲まれてはいるもののそれよりも高いビルがあり、敢えて言うなら新宿御苑のような都会のオアシスというか、僕にとってそれらは新しい感覚で、居るだけで胸踊るようだった。

 

ライブレポートとしては、全体的に、特にZAZEN BOYZの時間が短く、悪ふざけというかAsobiがなかったので少し物足りなさを感じたものの、それでも最高だったなと思う。特に大トリの向井秀徳アコースティック&エレクトリックのアンコールで、演者全員のkimochiが聴けたのは、自問自答を期待していた僕でも感動のあまり白目を剥きながら膝を震わせるほどで、その効力たるや今だに続いているくらいだ。危うく召されそうになってしまった。会場の人たちも皆白目を剥いて揺れていた。深海生物のようだった。もちろんこれも白目で書いている。そしてYureru。

 

面白かったのは、そのライブ会場で妙齢の人妻美女Cさんに会ったことだった。妙齢と言っても、僕より10ほど上だろうか。顔は整っていて気さくな人で、言動がさっぱりしているというか歯に衣を着せぬといった物言いだ。初め声をかけられた時はどこぞのねずみ講デート商法の類だろうと眉間にマリアナ海溝ほどもあろうかという深い皺を作り、口は真一文字に結んで天岩戸宜しく殻に閉じ籠りを貫いていたのだったが、話をしていくにつれ警戒心ギリギリのところまで懐柔されてしまった。僕はひどい童貞気質でちょろいので。もう好きになっちゃったんですよね。美女に少し優しくされるともうダメんなんですわ。

 

印象的だったのが「イケメンだけど…マイワールドがすごそう」と言われたこと。会って1時間足らずで、よくもまぁそこまでわかるものだなと。友人も笑ってた。外見はさ、すぐわかるじゃないですか。「アッ!イケメンだ!」って。「こりゃあとんでもない逸材がきたぞ!!」って。

でも精神面を家宅捜索されるとは思わなかった。思わなかったけど、気持ちよかったんですよ。人は自分の認識と違った決めつけや断定をされると、加えてその人が嫌いであればあるほど言い方次第でかなり反発するというか否定すると思うんだけど、僕は簡単に籠絡されてしまったのでただ笑ってしまった。そしてそれが好印象として残っているのも面白い。お互いその場限りの人間関係と思っていたからという部分もあるだろうけど。多分好きになっちゃったんだろうな、あと5年早く出会っていたらなあとも思ったし。

人格というのは人との交流のなかで決まっていくのだろう。

 

美女関連で、ガッキーの話。

headlines.yahoo.co.jp

要約するとガッキーの優しさが飴で炸裂して女神に後光がって話なんですが、もうどうしようもないくらい美女なのにとんでもなく優しいなんて、好きになってしまうじゃないですか。ベッドで朝まで恋ダンスしたくなっちゃうじゃないですか。恋が愛に変わっちゃうじゃないですか。金曜夜にソファに座っている僕に抱きついてきて、「ねーねー、明日休みでしょ?私も休みなんだよ。何するー?」って聞いて欲しいじゃないですか。

欲しいじゃないですかッッ!!

 

すみません取り乱しました。 

休みの間、ほとんど誰かと時間を共にしていたので、少し寂しいのか、それとも9連休の反動で少々疲れているのか。

癒されたい、愛されたい、休みたい。ガッキーと。

仕事、行きたくない。