よかれと思って大惨事

よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

方方見聞録・三重1

1周年記念じゃい!祭りじゃい!ワッショイ!

 

冒頭から取り乱してしまってすまない。このブログも1年が経ったらしい。それとは関係なく、今回の見聞録はタイトルにもあるように、三重だ。そう、お馴染み出張にかこつけた旅行だ。ということで、三重見聞録について書いていこう。ちなみに三重にした理由は、なんとなくだ。行こうとしなければ行かないからだ。

 

三重には一体何があるか。まずはそこからだ。有名なのは伊勢神宮だろう。あとはなんだか偉い人たちが集まるサミットとかいうのが伊勢志摩で開かれていたのも記憶に新しい。ナガシマスパーランドもある。西の富士急ハイランドにあたる絶叫系が多い大型amusement parkだ。これはいつか絶対行く。もう人生の予定に入っている。いつになるかは未定だ。他には志摩スペイン村。日本にはアメリカ村にドイツ村など沢山の外国村が点在しているが、これもそのひとつだ。余談だが、日光江戸村に関しては分類をどうするかで専門家の意見が割れているそうだ。江戸村て。いつか平成村なんてのもできるのだろうか。

三重はご当地グルメも多い。松阪牛伊勢うどん、てこね寿司に赤福など様々だ。伊勢海老は伊勢湾で取れるからというものでもないらしい。ここいらの難しいことはわからんので専門家にでも聞いて欲しい。あとあまり食べ物に頓着がないのでグルメ的要素は相変わらず皆無と思っていただいて構わない。

 

金曜日に出張先の名古屋を出発し、夜は松阪に泊まった。部屋からは出ていない。ホテルの窓から外をぼんやりと眺め、夜だ。暗い。とは思った。それ以上の感想はない。

翌土曜には伊勢神宮の外宮・内宮を参拝した。お伊勢参りだ。僕は忍者だから伊賀にも行ってみようかと思ったが、些か交通の弁が悪く遠いので断念した。志摩スペイン村に関しても同様に遠く、加えて一人で行ったらいたたまれずに精神がやられると思い選ばなかった。戦略的撤退だ。kashikoi。

 

伊勢神宮は『外宮』『内宮』というように2つに分かれていた。これがとても広い。どちらも広い。明治神宮を思い出す広さとつくりだ。ちょっと遠回りしてしまったが、伊勢神宮の広さをわかりやすいように例えるならば、伊勢神宮と同じくらいのグラウンドの大きさがあると仮定すると、それと同じ広さだと思う。さすが日本人のふるさとと言われるだけある。広い。ちなみに参拝には作法的なものがあるらしい。

神宮のお祭りは、「外宮先祭げくうせんさい」といって、まず外宮から行われます。

www.isejingu.or.jp

 

まずはこれだ。『外宮』『内宮』と分かれているうち、外宮を先に回る。なかでも御正宮と呼ばれるところを先にお参りをする。外宮の場合は衣食住を司る豊受大御神を祀っている。その後、別宮へお参りをするということだ。

内宮の場合、天照大御神を祀っている御正宮を参拝したのち、別宮に行くということだ。詳しいことは各種古文書でご参照されたい。あと、外宮は左通行、内宮は右通行なので追記しておこう。

なんでも外宮、内宮どちらか片方をお参りするのは”Kata-mairi”と呼ばれ、避けられることらしい。僕のようなデキる企業戦士はお分かりのことと思うが、部長に挨拶せずに課長にのみ挨拶することは失礼だし、偉い役員の片方にしか顔を出さないのは即射殺ものだということと似ているだろう。しかし会社と違うところは、お金を渡さないことだ。会社では上司に"ほんの感謝の気持ち"と称して金銭を渡すが、伊勢神宮では御賽銭をしないのだ。御正宮にも賽銭箱はなく、白い布があるのだが、これはお金を投げさせないようにということらしい。銭を渡さなくていいとは、やはり位の高い神は心が広い。 

 

伊勢神宮内では、パワーなんとかというスポットがたくさんあった。レバノンシーダーによく似た立派な杉が多くあったが、一部の杉の表面は滑らかで、人々はそこを頻りに触っては有難がっていた。変な宗教か、はたまたパワー、なんてったっけ、ほら、なんかそういうスポットのこと。多分それだと思う。杉はたくさんあった。そもそもあれが杉である自信がないが、およそ杉。たくさんの背の高い杉が敷地いっぱいにあった。そこからの木漏れ日はなんとなく神々しく、太い幹は頼もしかった。あと寒い。杉花粉の人を連れていくという遊びがしたいと思った。

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幹の表面が滑らかな杉的なやつ

 

外宮、内宮に入っていくときに橋を渡るんだけど、それが神の領域に入っていくという意味になっているらしい。橋から見える川はどちらも澄んでいてふさわしい綺麗さだった。伊勢神宮はどこにいても気持ちが正されるというか、静寂な雰囲気があった。

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内宮内に流れる五十鈴川。御手洗場にもなる澄み具合。

 

参拝が終わって、おはらい町のおかげ横丁へと進んだ。ここは人がごった返している。んで三重、日が出てても寒い。震えながら散策していたんだけど、なんだかどこも混んでいてちょっと萎えてしまった。食べ物屋が多く、てこね寿しを食べたら腹がいっぱいになってしまって、他にも面白そうな食べ物があったんだけど特に口にせずぷらぷらして宿へ。おかげ横丁は腹が満たされると魅力が薄れる。小食には辛いし、スーツにセーターの装備だと寒くて昼間っから酒という気分にもなれない。うーん…

 

夜は湯の山温泉というところの宿に泊まった。なんかわからんが温泉からはほのかにプールみたいな臭いがした。ハハッ!ふっしぎー!!露天風呂は視野が狭かった。夕食も松坂牛はおろか、郷土料理的なものは何ひとつ出てこなかった。一人での宿選びは難しいんだ。まあ泊まれただけでも良しとしたいが、うーん…

 

このあとは部屋で酒飲んで、寝た。

ではまた次回。見聞録なんて碌なことがねえ。

 

想像力と眼鏡

目が悪い。ここ数年、眼精疲労に悩まされている。仕事でパソコンを見続けているからかもしれない。あるいはそれ以外でスマホを見続けたり、本を読んだり漫画を読んだりパソコンを眺めているからかもしれない。しかしこれらは仮定の話であり、実際のところ、理由はわからない。わからないがとにかく疲れている。

コンタクトをやめ、眼鏡をかける時間が多くなった。コンタクトは目を乾燥させ、非道い頭痛を誘発することが多いからだ。コンタクトあるあるとして、一日中コンタクトを付けっぱなしにして、その日の深夜、目の奥から来るひどい頭痛に悩まされるということがある。これは吐き気すらも引き連れて来る。悪夢だ。かといって眼鏡ならならないかといえば、そう話は単純じゃない。眼鏡でも辛いような時がある。

どのくらいの症状かというと、歩くたびに足の裏から伝わって来る振動でズキズキと痛む。以前は、以前はと言っても子供の頃だが、一日中ゲームをやって目を酷使しても頭がぼうっとするだけだったのに、目が歳をとったのか、今はパソコンを1時間眺めているだけでもうごけなくなってしまう。それはまるで小さいおじさんに目の奥をやすりで削られ、まち針を間髪入れずに刺される感覚だ。このおじさんは慈悲のない哀しい見た目で、慈悲なく僕というおじさんの目の奥を痛め続ける。そのため頭痛で動けなくなってしまい、道端で立ち止まってしまうことも少なくない。僕というおじさんの中にいる小さいおじさんが視神経を攻撃している。慈悲も救いもない絵だと思う。小さいギャルだったらご褒美だったのに。神は死んだのか。

なるほど、これはもしかしたら、万が一、あるいは目を酷使したせいかもしれない。と、試しに眼鏡を外して通勤するようになって2年くらいだろうか。少しでも目を使わなければこの苦痛から解放されるはずだ、という浅知恵から。ちなみに目の体操や目の周辺を温めるのでは一向によくならないし長続きしない。やはり神は死んだのか。もしくは休暇をとってバリ島にでも行っているのか。神がいるなら、とにかくコンビニばりに休みなく稼働してほしい。僕は目を休める気が一向にないのだから。

 

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とニーチェは言った。

視力が裸眼0.1もない自意識の強い僕はそんな理由で、裸眼で生活する時間が多くなった。幸か不幸か、面白いことに見えなくなることで副次的効果を得た。誰かの視線を感じることがなくなって精神衛生上とてもいい。ということだ。

今は幾分よくなったが、学生の頃は今より非道い被害妄想のために、昼間出掛けること叶わず、多少込み合ったスーパーなどは、きっとみんな「何あれ気持ちの悪い不細工」「あの木偶の坊、よく外に出られるわね」と自分が罵られているのではないかと思い込み、幾分遅くなって人が捌けてきてからでないと外出できなかった。

ニーチェの引用では自分がそんな攻撃的な感情を人様に向けていたことの証左であるようだが、僕の場合は臆病と戦略的撤退思考ゆえであって、人にはそんな敵意を向けていないこと、賢明な貴方様には御理解いただきたい。そういえば先日の研修で、同期には度々「気付いてないのかもしれないが、口を開くと悪意が溢れでてるぞ。お前はパンドラの箱か」と言われた。『パンドラの箱』のくだりは嘘だが、喋るたびにちょっと小気味良いブラックユーモアをかましてしまっていたことには自覚がなかった。自戒したい。

 

また、視力がなくなることで電車内、あるいは駅に美女が増えた。

これは輪郭や表情がぼやけるために、想像でいいように現実を作り替えてしまっているのだろう。この素晴らしい新世界。近視の方々は、僕と会う際には是非裸眼でお願いしたい。乱視ならなお良い。どうだ、僕が西島秀俊に見えてきただろう。

美女が増えた以外には、フガフガと鼻くそを深追いし、指の第2間接まで鼻に突っ込むおっさんを見なくなったのもいい効果のひとつに挙げよう。

 

最近のゲームはグラフィックがやたらとリアルで綺麗で、主人公の自分に入り込めないという逆説的現象が起きているらしい。昔の野球ゲームは8ビットの、レゴで作ったような粗雑な野球選手を操作したらしいのだけれど、そこには確かに王選手や長島選手がいたという話を聞いて、とても面白い現象だと思った。粗さには想像の入り込む余地があるのかもしれない。

 

最近、携帯を眺め、何となく時間が過ぎていることが多い。暇に潰されている。たまには仰角5度くらいを見て、秋の雲を眺めたっていいのに。行き交う人々をなんにも考えずに見てたっていいのに。何かに追われるように読み漁って自分の世界を掘り下げることに、最近躍起になっている。たまに「筋トレもストレッチも一箇所を執拗にやるんじゃなくて全体を満遍なくやった方が効果的」という話を思い出したり。

見えなくたって面白いことがあるんだから、想像力をと思考を働かせて、視覚以外で楽しめればなあと思ったりする。金木犀は散り、もう少しで紅葉が始まる。秋の雲は速く流れる。

 

私の本棚

読書家の友人に、「貴様の薄汚れた気持ちの悪い本棚について、ブタ面に汗をかきながら書け」という意味の丁寧語をかまされたので、今回はそれに則って書いていこうと思う。

 

まず本棚そのものなんだけれど、家には3つある。その中の細長い1つはイケアから買ってきたものだ。細長くて、そこはかとない北欧感がある。さすがイケアだ。とてもお洒落だ。僕の部屋にそこはかとなく合っている。お洒落だ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。お洒落な本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

あとは漫画が1段3列に連なって納められている本棚。恥ずかしいことに1段の耐荷重を知らないので、いつ崩壊するかわからない。そんなドキドキ感を内包している。僕の部屋にとても合っている。ドキドキだ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。いつ崩壊するのかわからない本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

あとは机の袖にある本棚。これは特になにもない。僕の部屋にとても合っている。虚無だ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。前述の2つに比べ、まったく特徴のない本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

そして収まりきらなくなった本が部屋に散乱している。圧倒的に本棚が、というか本棚を置くスペースそのものが足りていない。リアス式海岸よろしくその複雑かつ素晴らしい景観は気軽に見られる日本の三勝景に選出されたとか。

 

さて、本棚自体の紹介はここまでにして。今回紹介する本棚は北欧溢れんばかりの、うっかりするとお洒落さんと繋がっちゃいそうな、格好良い細長本棚の中身についてだ。どうせ本棚について書けといった友人は、僕の偏った蔵書を見てセンスがないの精神が捻くれ曲がって手のつけようがないだのブタ面トラックだのと嘲りたいのだろうから、その欲求を忠実に叶えてあげたい。なぜなら僕は優しいから。面倒臭優しいから。

 

まず、父からもらった本がある。「D・カーネギー」だ。読んだことがない。ただ鎮座している。いつか読もうとは思っているが、今のところ食指が動かない。父上からは度々本を頂戴するが正直僕にはよくわからないものばかり。将来解る日が来るのだろうか。

本棚には新潮社御中から出ているものが多い。その筆頭は太宰治。これは出ているものはすべて揃っている。僕の今の一押しは「走れメロス」だ。この中には、「駆け込み訴え」や敬愛止むことのない「トカトントン」などが入っている。

芥川龍之介もすべてではないが揃っている。芥川もぜひ制覇したいと思っている。「河童」を読んだときの感動と言ったらそれこそ筆舌に尽くしがたい!いったいなんだ!本棚がどうだとか、そんなの尽くすまでもない!

そして太宰治のすぐ横には三島由紀夫が並んでいる。初めて金閣寺を読んだとき、その表現力と洞察に足元がよろめいたのを覚えている。なのにレター教室や不道徳教育講座などの、金閣寺とはちょっと違った文体があったり、なんというか"選ばれた"んだろうなと得心していた。

田山花袋は布団、田舎先生しか読んでいないが、自然派というものを調べたのはこれがきっかけだった。強烈な文豪性みたいなものは感じなかったが、そのちょうどよさみたいなものが心地いい。

横光利一は機械・春は馬車に乗ってを拝読し、めっきり心酔してしまった。他の作品は今ではなかなか売っていないらしく、非常に、非常に残念極まりない。

実は私は自分が悪いということを百も承知しているのだが悪というものは何といったって面白い 

『機械』

という一文で、もう素晴らしいことがお解りかと思う。

中島敦山月記だろう。教科書に載っていたが、今読んでも面白い。最高だ。どこぞの書店で『中二病の真髄!』というポップを見かけたときは担当者のケツを蹴りあげてやろうと思ったものだ。

川端康成井伏鱒二森鴎外泉鏡花坂口安吾夏目漱石も何冊かはあるが、僕には少し難しく、なかなか次を読もうという気になっていない。ここら辺が楽しめるようになると、もう少し僕も文章の妙味がわかってくるんじゃないかと思っている。

近代から時間をぐっと進めると、森見登美彦が多い。森見節は癖になる。きっかけの「四畳半神話体系」や「夜は短し歩けよ乙女」を読み始めたのは幾分ブームが過ぎた後で、本屋では既に平積みから棚差しになってからだった。ブームに乗らなかった理由は「売れ線に負けるのが嫌だが、なんとなく気になっていたので落ち着いてきた頃合いを見計らった」というもの。僕には今でもこういう変な意地の張り方みたいなものがあって、だいたいそのために人と分かち合うことができない惜しい性分だ。

最近読み始めたのは湊かなえだ。読みやすく、変にご都合主義ばっていないので僕は好きだ。「告白」はあまり触れたことのない構造で、現代作家はこういう風に書くのだろうかと思い込んだ記憶がある。

シェイクスピアは父上に教えられた。出版社によって訳や解説の仕方が変わってくる。僕の好みは角川文庫御中だ。頁の下部に台詞や文化の解説があって、気持ち良く読み進められる。

筒井康隆は、旅のラゴスを初めて読んで、どっぷり浸かりたいと思った。自選ドタバタ傑作集は筒井康隆らしいエログロSFナンセンスとなんでもありで、読むのが怖い表現があったかと思えば笑ったりと忙しく読んだ。

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長くなってきたので今回はこの辺で。ではまた来世。 

 

イビキVS

飲みかけの紅茶を手に取り、カップを思い切り傾けて勢いよく飲んだら、気管にとんでもない量の液体が誤って混入し、それを吹き出すまいと必死に我慢していたところ、とうとう気管に限界が来て鼻から口から大量の紅茶を机やらイスやらにぶちまけた貴方!奇遇ですね!僕も同じことをしてしまいました!

タオルで拭きながら笑いがこみ上げてきて、もう色んなことがどうでもよくなっちゃいますよね!知るか!みたいなね!ハハハ!

 

イスに座ってパソコン立ち上げたらケツと手のひらが温い液体で濡れているのを見つけました。なんだこれは!ふざけるな!不法侵入か!

気持ち悪いので、パソコンもイスも買い替えたい。つい数ヶ月前までハンモックが猛烈に欲しかったのに、今はロッキンチェアーがどうしようもなく欲しい。それに揺られて本を読みながらうたた寝して、起きて、セミダブルのベッドで大の字になって寝なおす。みたいな生活をしたい。

 

そんな睡眠欲肥大化現象にさいなまれている僕は先日、会社の委員会みたいなやつの総会があって。弊社保養施設で2泊3日で。まぁ行かなきゃよかったと思ったんですけど。

初日の飲み会。ここで案の定人見知り神拳を炸裂しまって、どこか僕でも入り込めるところはないかなと嗅覚働かせて探したんですけど、各所で鉄壁の円陣が組まれてました。見事オールアウェー。乗り遅れたビックウェーブ。そして内輪ネタのオンパレード。

 

いろいろ面倒になって部屋で寝ようと決めたんですよ。しかし懸念がひとつ。同室になった同期のSくん。Sくんは体毛の濃さと話の異常なつまらなさもさることながら、何よりイビキがすごい。以前に研修で同室になったときにはとてつもない音量に思わず耳栓を購入してしまったんですよ。

そんな経緯があったんで、今回もその時の耳栓を頼りに持っていったんだけど、これが安易だった。

 

2泊3日の初日。Sくんのイビキが聞こえるより先に寝てしまえばこっちのもんだ!と気負ったせいか、焦ってしまってなかなか寝付けない。そうこうしているうちに、というか3分くらいで聞こえてくるイビキ。耳栓がぜんっぜん役に立たない。それでも寝てしまえば!と思って焦る焦る。寝られない。ウトウトする!勢力を増すイビキ!それはまるで踏切音!!

どうしようもなくなって、掛け布団だけ持って押入れに入り込む。気分はドラえもん。そしてのび太のイビキが炸裂!

押入れでも寝られない!踏切にさらに電車が迫るような音!押入れの外には朝が!!Sてめえ!!

初日。完敗。気持ち良さそうに寝ているところが余計に苛々する。

 

二日目も飲み会を早々に引き上げる。なぜだか異様に眠いし。なぁ、なんで俺は眠いんだ?ん?おいSくんよぉ。俺はなんでこんなに眠いんだ??ヘラヘラとクソつまらん仕事のアピールはいいから答えろや。

寝る前に一応Sくんを亡きものにしようかと思ったけど、前日寝られなかったからか睡魔に襲われてすんなりと寝入った。

 

 

と思ったら襲いかかる雷鳴!轟く轟音!震える窓ガラス!1時!

S村てめえ!!!

雷の正体はイビキだった。イビキ止めるか息の根止めるか選べや。雷もここまで轟かないぞ。てめえは雷神か。ん?雷神なのか?雷神?口から雷出してる場合じゃねえぞ。神殺しじゃ!てめえの息の根を止めてやろうか?ん?ん??止めてやろうかァァアアアアンンン!?

 

 

今回はさすがに寝たかったので、諦めて掛け布団背負って大広間のソファへ。ソファはがっつり寝るのには向かないですね。おかげで寝付くのに時間はかかったが、なんとか就寝。

 

 

と思ったら管理人が空き缶を片す音!起きる!朝5時!

うるうううううぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!

 よし!S村ブン殴りに行こう!

部屋へ戻る!静か!!よし寝る!

 

と思ったらJアラート!起きる!朝7時! 

 OK!落とせ!俺だけ死ぬように落とせ!戦争じゃいこるるるるうrっあああああああああ!!!

 

睡眠上手の僕が、かれこれ2週間、うまく寝られなくなっている。許さないからな。絶対に。

 

台風と頭の靄

天候のことばかり話す人を天候居士と言って、天気のことしか話せない無能な作家を指した。という話があった。

 

タリム。そんな名前の付けられた台風18号が通り過ぎた。これは日本を徹底的に縦断していった。月曜が敬老の日で3連休だった。台風が過ぎ去ったあと、1週間も前に通り過ぎたと思っていた夏が、台風とは逆に眼前に戻ってきたらしい天気だった。土日の非道い豪雨と月曜のしぶとい夏の日差しには随分辟易とし、せっかく立てた出張にかこつけた山梨旅行の予定は脆くも崩れ去ってしまった。

月曜、台風一過の後の暑さは、低気圧が南からの空気を呼び寄せたりだとか、空気中の塵芥を巻き込み持っていったために、太陽光が当たりやすくなるから。というようなことを、ほぼ30になってようやく知る。まったく余計なことをしてくれるものだと思う。九州の知人に、ぼんやりする頭で「とにかく海と田んぼの様子は見に行った方がいい」と親切に教えてやったのだが、「仕事しろ」とだけ返信が来た。

長野の出張。社内の人間とはいえど人見知りを遺憾なく発揮し、必要以上には話せなかった。誰と何をどう話せばいいのか。そんなことをあてもなく考え、次第に面倒臭くなって部屋でごろりと横になった。みんなが自然に楽しそうにしている中、隅で様子を窺っているのがひどく惨めで恥ずかしく、それでも自分の変化のなさに少し安心したりした。解散のあと一人別行動で山梨に向かったのだが、何をするでもなく甲府を彷徨い歩き、金曜の夜、駅近くのホテルから、富士山がその頭だけを他の山々の上から出しているのを暗くなるまで見ていた。太宰治の"富嶽百景"という作品が、「富士には月見草がよく似合う」という一文と共に僕の中に残っていて、それを読みながら太宰も甲府でこんな景色を見たのだろうか。と感慨にふけっていた。翌日は雨。山梨県立図書館に逃げ込んだ。白を基調とし、ガラス張りで、天井の高い現代的で綺麗なところだった。こんな図書館が近くにあればいいのにと思った。

 

ここ数年、元からぼんやりしている頭の中に、霧のようなもやがずっとかかっている。これを脳の溝に思考のゴミが溜まっているせいだと思っているのだけれど、どうせなら台風はこの思考屑も持っていって、今日の空くらい僕の頭の中もすっきりさせてくれればいいのにと、もう寒さに備え始めた躰で炎天下の中を歩く。出張の疲れか、いささか躰が重い。髪を切るために歩いていると、半袖やら長袖やら、色んな格好をした人たちが日陰を縫って歩いている。こんなに暑いなら、いっそ坊主くらい髪を短くしてしまおうかと思う。路地のいつか行こうと思っていた蕎麦屋の入り口にテナント募集という貼り紙がされてあった。前髪をいつもより短く切った。思考屑が髪と共に切り落とされたためか、頭が少し軽くなった気がした。

 

OK、俺が結婚を克服してやるよ

昔は全然"人恋しい"なんて思わず、むしろそんなことを言うやつは人間強度が低い未熟者だとすら思っていた。一人を享受できない人間が、人生を活きられるわけがない。一人を徹底的に貫かん!圧倒的一人!それこそが正!拗らせてると言われればそれまでだけれど、それでも心底そう思っていた。確信していた。

だから、その僕が"人恋しい"という感情を覚え、それだけでなく一定間隔でそれに襲われることに、強度が弱くなっている。と感じるのは当然だし、驚くよりも辟易とする。という表現が正しいように思う。

 

さて、この状況を完膚なきなでに打開しよう。これを誰かに埋めてもらおうなんて、とんだ、唾棄すべき都合主義。人間強度が聞いて呆れる。しかしこの感覚をなかったことにできるほど鈍感でもない。そうなれば。感情を押さえ込むには理由、理屈が必要だ。本能を否定するには理性。僕が心底平伏し、一人がつらい。と思うことを「恥ずべき!なんと愚劣極まるか!」と罵倒し、一旦下げておいて「お前ほど素晴らしい人間を介さない世の中なぞ気にするな」と飴で甘いあまいしてくれる俺が必要なのだ。

 

それでは僕を操る俺のために、いくつか理屈を提示してみよう。「不意に結婚したくなる男」なぞというものが、データと確固たる意思から結婚など不要だと思い直すための、平穏を取り戻すために。

 

news.mynavi.jp

 

首都圏、関西在住の20〜36歳に回答をもらったこの記事によると、

女性の結婚したい理由(897名)

1位.子供が欲しいから(15%)

2位.家族・家庭を持ちたいから(11%)

3位.寂しいから(8%)

安心・安定したいから、友達の結婚に刺激されたからと続くらしい。

 

男性の結婚したい理由(477名)

1位.寂しいから(13%)

2位.家庭・家族を持ちたいから(7%)

3位.子供が欲しいから(6%)

友達の結婚に刺激されたから、安心・安定したいからと続く。

 

なるほど、男女ともに大体似たような項目が並んでいるわけだ。

データを見ると、大体上位3つは同じ理由が独占している。男性の場合はそのトップが『寂しいから』。つまり、だ。僕はこの3つを克服、とりわけ寂しいからという理由を克服してしまえば、この感覚に苛まれることもなくなるというわけだ。なんだ、簡単じゃねえか。

……あれ?僕のこの"人恋しい"って、もしかして寂しさ由来じゃない?

OK、つまり、一人が寂しいと思うってことは、一人が充実してないってことだ。充実しちまえば、忙しい時に余計なことを考えられなくなるのと同様、寂しい人恋しいなんてことを考える暇がなくなっちまうって寸法だ。息もつけないほど充実してしまえばいいのか。僕は書くのも好きだし、本や漫画、ネットの記事を読むのも好きだ。家には40冊くらい読んでいない本が僕を待っているし、アニメや映画もまだまだ見たいのがある。音楽だって好きだ。iTunesには1万曲くらいは入っているし、ライブだって一人でも行く。一人でふらりと旅行だってする。これらをやっているときには全く寂しくない。よって僕の理論は完璧。そう、人恋しいなんて気のせいだったんだ。単なる勘違い。シュールレアリズム。最後のは違う。

 

さて、いよいよ大詰め。

彼女欲しいとか結婚したいと思うタイミング(複数回答可)。というのも書かれてあったのですが、

1位.クリスマス前後(45.6%)

2位.街でカップルや家族が幸せそうにしているのを見たとき(37.4%)

3位.結婚式に列席したとき(30.3%)

以下、友人の結婚が決まったとき、クリスマスやバレンタインなどのイベントのときと続く。

 

これは余裕。楽勝で克服できる。つまり、「クリスマスやバレンタインなどのイベントには一切関わらず、家族が幸せそうにしているのは単純に喜び、結婚式は友達がいないので呼ばれることもないし問題ない」ということだ。ここら辺にさえ近づかなければいいってことだ。簡単すぎて涙が出るぜ。前だけ見ても何も見えない。

 

www.therootless.com

 

 

おまけ。

なぜ結婚できないのかという理由

1位.出会いが全然ない 52.7%

2位.低収入/雇用が不安定だから 36%

3位.1人でいる方が自由で気楽だから 33.2%

 

うん〜〜わかるぅぅ〜〜怖いくらいちょ〜わかるぅぅ〜〜〜!!!

私ぃ〜、年収200万だしぃ〜、あっ、ブログで年収800万だから合計1000万だけどww

出会いないしぃ〜でもでもやっぱり1人って自由でいいんpぉきじゅhytgrふぇd!!

 

これがただのブサイク非モテ貧乏人の僻み根性丸出し記事に見えている君。そうじゃないんだ。安心してくれ。僕は、いや、我々は!ついに!!結婚を!!克服したのだ!!

窓を開けて外を見たまえ!!さっきよりも世界は優しい色をしているはずだ!

それだけで!我々にはそれだけで十分だろう!

 

嘆くほどじゃない。一人も悪くない。

 

僕がおじさんになあても

先日、fire TVでガオガイガーを懐かしんでいたんですね。ご存じです?ガオガイガー。勇者王の。僕はAmazonのプライム会員だからね、好きに見られるんだ。僕が小学生の頃のアニメで旧い作品なんだけど、そりゃあもうロボのギミックとか機械の接続音なんかがかっこよくて、やっぱりロボットは男のロマンだなと。「ガッショーン!!」「ギュガガガーン!!」みたいなの。いや、別段機械が好きとか、そんなことはまったくないんだけど、これは矛盾してるわけじゃなくて。あぁ、話が逸れた。

 

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勇者王たる堂々とした風貌。おもちゃを買ってもらった記憶が有る。君たちに最新情報を公開しよう!はお馴染みの台詞。

 

その勇者王ガオガイガーでは、主人公のガイが子供たちを助けた際に「ありがとうおじさん!」「おじさんはやめろ、俺はまだ20歳だ!」というやり取りがあるんだ。

どの媒体でもいいし、甥や姪がいる人は実体験でも、なんだっていいんだ。20代から30代そこそこの人間が子供から「ありがとうおじさん(おばさん)!」と元気よく言われて、「お、おじさん…?」と眉間をひくつかせながら自分を指した三人称に不満を漏らすという場面。一度は見たことがあると思う。

僕はこれを経験してみたいと思うんだ。ようやっとアラサーになったんだから、一度くらい『自分ではそんな年齢だと思っていないのに、年寄り呼ばわりされる』という経験をしてみたくって仕方がない。残念ながら人間関係もないし、甥や姪ができる可能性のある親戚もいないのだけれどね。だから正直実現は難しいだろう。でも呼ばれたい。どうしても。そこで博学才穎の僕は考えてみる。

子供からおじさんと呼ばれるにはどうしたらいいだろう。公園にでも行って子供と友達になる?違う。この世知辛い、かつ物騒な世の中では友達になる前に通報されて警察のご厄介になるのが関の山だ。親たちはすれ違う野郎共を異常者か子供に害なす汚物思っているに違いないからだ。

ではなんだ。足繁く幼稚園にでも通う?それはより危ない。交番で聴取を受ける際、「ハァハァ…こ、子供に、お、おじさんと呼ばれたくてハァハァ……」などと答えようものなら、クスリの使用を疑われかねない。いたずらに罪を重くすることはないだろう。

知恵者の方々はお解りのことだろう。答えは、そう、子供を助けるしかない。子供をなにか、例えば野犬や車から。悪の組織や銃弾は駄目だ。分が悪いし、その後のストーリーが始まる予感がすごいから。僕が望んでいるのは"子供におじさんと呼ばれる"までなのだから、それ以上はいらな……いや、待てよ…なんやかんや事件を解決して美女とねんごろになった挙句に大金が手に入るならいいかも…むしろそれがいいな……

まあ、とにかく助けるんだ。そして僕は言う。しかも自分が消え入るような爽やかさでもって「大丈夫かい、お嬢ちゃん」と。そこまでしたらお嬢ちゃんは言うだろう。「うん!ありがとうおじさん!」と。そういう会話が生まれる。生まれてくれ。

 

言われたら、多分僕は笑ってしまう。一応、「お、おじさん…?」と言ってみたいんだけど、あまりにもテンプレートなのにも関わらず、低い遭遇率の場面に出くわしたことがおかしくて声を出して笑ってしまうかもしれない。笑いをこらえて、眉をひくつかせながら「お、おじさん……?」も是非とも言ってみたい台詞だ。

そして僕は言われた瞬間に視点が移動して、自分の右斜め後ろの上空から自分を見下ろすようになる気がする。これはたまにある感覚で、自分が当事者であるにも関わらず、他人事に感じるような。普段の生活でも、事件や出来事がどこか遠いところで起こっているような他人事のように感じることがあるんだけど、それよりももっと、自我も他人事のように感じることがある。恐らく、1,500文字以上を費やして語った「おじさんと呼ばれたい!」というよくわからない夢が実現した途端に自分の自我が躰から抜け出して、まるで白昼夢のようなことだと思うだろう。

そしてお嬢ちゃんは魂が抜けて呆ける僕を見て「どうしたの、おじさん…?どこかいたいの?」とか聞くんだろう。ここまでされたら一晩中笑っているかもしれない。「どうしたの、おじさん……どこか痛いの?」もかなりいい台詞だ。傍観者が当事者になったとき、今まで通りの、知っている流れに身を任せるしかないのだろうと思う。

一番の問題は、早く実現させないと、本当におじさんという年齢になってしまうということだ。

アラサーは30歳±3歳だという。おじさんは一体いくつからなのだろうか。