よかれと思って大惨事

よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

気付けスズキ

スズキは激怒した。必ず、かの無為徒食の冷凍庫を働かさねばならぬと決意した。スズキにはほぼ何もわからぬ。偏差値もIQも20くらいだ。スズキは、都のカイシャインである。法螺を吹き、なにとも遊ばず一人ひっそり暮らしてきた。けれども残業に対しては、人一倍に敏感であった。昨年末の夕方、スズキは都を出発し、新幹線で野を越え山越え、百里はなれた此のセンダイの市にやってきた。スズキには、不可解だが、彼女も女房も、不倫相手の年上豊満美女も無い。おかしい。一人っ子なので空想の内気な姉と二人暮らしだ。この姉は、町の或る律儀はコームインを、近々、花婿として迎える予定などなく、スズキと結婚すると言って聞かない可愛いやつだ。結婚式も間近なのである。

そんなことばかり言って、スズキはそれゆえ、実家への強制送還を余儀なくされた。そして帰省がてらご機嫌取りのお土産を買うために、はるばるセンダイの市にやってきたのだ。先ず、その品々を買い集め、それからセンダイのペデストリアンデッキをぶらぶら歩いた。スズキには竹馬の友があった。イトヌンティウスである。今は此のセンダイの市で、インセイをしている。スズキはカイシャインになって5年経とうというのに、こいつはいつまでも学生をしている。いい加減にしろ。人生の3割を学生している。ちなみにあとの7割は水だそうだ。

その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。2ヶ月遭わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 

スズキは、イトヌンティウス家について少し経ったのち、冷凍庫の様子を怪しく思った。昨日、飲んだ帰りに買ったみんなのハーゲンダッツが、柔らかくなっている。鈍感なスズキもだんだん不安になってきた。家主をつかまえようとしたが、二人とも帰省していたので、スズキは一人二役やることを買ってでた。スズキは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「冷凍庫は、物を冷やしません。」

「なぜ冷やさんのだ。」

「電圧が足りていない、というのですが、今まで動いていたので、そんなはずはありませぬ。」

「まったく冷やさんのか。」

「はい、ハーゲンダッツをはじめ、ほとんど冷気もでては居りませぬ。」

「おどろいた。冷凍庫は故障か。」

「いいえ、故障どころではございませぬ。」

 

 冷凍庫に入れたアイスの王、アイスの王、ハーゲンダッツ皇帝は、何やら中年太りかのごとく、その身体をぶよぶよにしていた。なんたる体たらく!しかし環境がそうしたのか、情けないお姿は何時間経っても戻る気配がなかった。

スズキは処置を聞くために住人の元に走ることもなく、「そういう冷凍庫なのだろう。変わったやつらだ。」と思い、放置してしまった。

スズキは、後日会ったイトヌンティウスに、ストーブが弱いために寒くてかなわんと腕に唸りをつけて頬を殴った。

「実家に帰れないと言ったお前を助けたのは誰だと思っている。」

そういってイトヌンティウスは居酒屋一ぱいに鳴り響くほど音高くスズキの右頬を殴った。

 

愚者はひどく赤面した。

 

合縁奇縁

ホームに駆け上がり、息を弾ませたまま新幹線に乗り込む。年末年始だからか、覚悟していたよりも人が多い。盛岡行きに飛び乗り、足早に車内を進み空席を探す。おじさんが通路側に身を乗り出していて歩きづらい。背負ったショルダーバッグが当たらないように細心の注意を払うが、なんで自分のほうが気を遣っているのかと少し情けなくなり、次第に苛々としてくる。

どうにか見つけた席に深く腰掛け、お茶で一息つく。さっきのおじさんの顔がちらついて、また少しささくれ立つ。仙台までは2時間かかる。外の景色は既に黒くなり始め、街灯がその中で心細く点灯している。あぁ、この光景を何度見たことだろうか。あと何度見るだろうか。

 

年末の疲れからか、昔の夢を見た。高校生の頃、初めて引越しというものをした。といっても1kmくらい先の家で、何度も行ったことのある場所だった。元の家の2階からの、18年住んだ場所から見えた雪景色や紅葉は、27になったいまでは既に朧気で、何度も見たはずの光景が微かに思い出されるくらいだ。忘れる、ということを実感する。

そして大学生になり、半年ばかりで引っ越した実家を出て仙台に住んだ。慣れなかったのも始めだけで、一人暮らしの気楽さという名の下、自堕落な生活にとっぷりと浸かった頃、疎遠になっていた友人と思いがけず再会した。おかしな偶然もあるものだとしみじみ思う。

その友人は多少離れたところに住んでいながらも、お互いに友達がいなかったためか、再開からたびたび会うようになった。ひどい時には週4回も飲みに行ったりして、周りの人たちを呆れさせていた。彼の家も僕の家も、学生の部屋丸出しというか、よくある1kの間取りだった。僕の家の方が小汚く、変な匂いと壁の薄さと締まりの悪い玄関を擁していた。

 

それから僕は、危ういながらもなんとか4年で大学を卒業し、就職のために上京した。友人は大学院に行くということで、そのまま仙台に残った。それから5年が経った。

しかしお互いに人間関係がなかったためか、20kmだった距離が17倍の350kmになっても、出張や帰省がてらと折を見てはゲフゲフと薄気味悪い笑いをたて、バイオハザードをしながら昼間っから酒を飲んでいた。周りの人たちからは同性愛を疑われていた。僕も友人も女の子が大好きだった。

 

新幹線のアナウンスに起こされる。2時間はいつも覚悟する割にはすぐだった。仙台に着き、友人宅にある僕の部屋で荷ほどきをする。その友人は数年前から仙台で同棲しているのだが、彼らはその家に”スズキの部屋”と呼ばれる1室を用意してくれた。その話を聞いた時、僕は気恥ずかしさから平静を装ったが、内心とても嬉しかったのを覚えている。この家はなかなかよかった。小綺麗で、整理されていて、住む人たちの一端をよく表していた。

彼らは今年、首都圏へ引っ越す。その報告を聞いた時、僕はとても喜んだのを覚えている。おもしろい偶然もあるものだと思った。

 

数日を"僕の部屋"で過ごす。何度も生活するうちに、いつも我が物顔だから、彼らはもしかしたら驚くかもしれないが、やっと馴染んできたところだった。名残惜しさと荷物をまとめ、自分の実家へと向かう新幹線に乗る。

過ぎていく景色。まだ明るい仙台は、何度も見た、変わらない光景だった。僕は4年住んだ。それから5年、ことあるごとに通った。彼らの用意してくれた部屋は、帰省の道すがらということもあり、足が遠のくことはなかった。ひどい時には月に2度も行った。家賃は払ったことがなかった。何度も行った割には、仙台に詳しくなることはなかった。ジャズフェスの時期が一等好きだった。

 

この光景をあと何度見るだろうか。彼らの次の部屋はどんなだろうか。僕の部屋はいつも変わらない。

 

共通言語と合言葉と

今年も12月に入って久しく、残すところもあと1週間ばかりとなった。

今年の流行語は「インスタ映え」「忖度」だったそうだ。インスタと呼ばれる写真を投稿するSNSの存在は知っているが、実際に使用したことはない。そもそも僕のような老人界の新人王が撮った、ブレていて粗い写真をいったい誰が見たいだろうかと考えてしまう。上司が食事の写真を撮るのを見ると、なんともいたたまれない気持ちになると同時に、自分のこの保守的かつ捻くれた感性がどうかしているのではないか。考え過ぎだろうか。と逡巡し、次第に気分が悪くなってしまう始末。思考の蟻地獄。

ヤフーニュースで、「最近のJK・JCの選ぶ流行語」という30秒だか1分だかの動画を見た。「◯◯み(可愛みなど)」「熱盛」「マジ卍」など、どこかで見たことがあるようなないような言葉が並んでいた。その中でも特筆すべきは、5位の「ンゴ」だ。これはもう10年くらいに2ちゃんねる、なんJで使われていた言葉だ。むしろ今なのかといった感じで、仕舞いには当時の記憶も一緒に掘り起こされ、なんだかじわじわと恥ずかしくなってくる。

 

もうかれこれ9年近くテレビ番組というものを見ていない。もちろん最近のニュースはもとより世間の関心ごとや流行りものがわからない。辛うじてネットに転がっているニュースを見るくらいだから、陛下退位で10連休云々、不倫がどうのと雑多で粗い情報のみ。

そんなことだから最近の世間の流れ、人気のある人たちがまるごとごっそりわからない。半年ほど前、友人Dにピスタチオという芸人が次来そうだ。と言ったら、「それは2年くらい前に終わった。お前はナイツの今更漫才か」と言われる始末。これは僕にも伝わった。この「ナイツの今更漫才か」というツッコミが好きなのだが、伝わっているだろうか。そもそもこのツッコミも今更なのではないだろうか。それとも流行っているのか?

また、会社の女性に最近3代目ナントカというグループの流星(RYUSEI?)というのが流行っているそうですね。と言ったら、なんでもそれも1、2年前のことらしく随分と驚かせてしまった。僕のセケンと実世間にはおよそ1、2年の開きがあるらしい。いつも流行り廃りは早いもんだ。そして僕はいつも流行りがわからない。

 

子供の頃、夜遅くにテレビを見ることを禁じられていた。特に夕食後には勉強の時間が設けられており、机に向かうことを強要されていた。それが苦痛で仕方なく、机に向かってもなんのかのと喚き、毎日逃げ回ることばかりが上達してしまった。そして社会人になった今も机に向かえず、知識と向上心は驚くべき低空飛行と不時着陸を繰り返している。もはや低いバウンド状態。

学生時分、翌日学校に行くと周りの級友たちはしきりに僕の見なかったテレビの話をしている。仲良くしたい級友、先輩後輩はその場の誰かが「昨日のあれ見た?」という合言葉を皮切りに楽しそうに僕の知らない話を始め、その度に置いてけぼりにされていた。あれは、僕の知っている日本語だったけど、まるで僕の知らない共通言語で話し合っているようだった。広義の「内輪ネタ」とでも言うのだろうか、知らない合言葉を使っているので、言外の細かなニュアンスや背景を共有できない輪の外にとってはつまらなかった。

何かの拍子にその話題のテレビを見ても、みんながそれほど熱中する意味もわからなければ、見たときに限って話題にならなかったりしてつまらない思いをするばかりだった。

 

ニュース全般、特に芸能ニュースに強く感じることなのだけれど、興味のない隣町の学校の壁新聞を読んでいるような、完全に他人事で、自分の人生とその壁新聞の交わるところが今後一切ないように思えてしまい、かといってエンターテイメントとして消費できるかといえば、知らない人の一部分のみを丸々飲み込んで楽しめるでもなかった。

それだったらいっそ遮断してしまってもと思い今に至る。自分に必要な情報を選んで摂取しているのかと問われればそういうわけでもない。よく「社会人なら新聞くらい読めよ」と会社の先輩に言われるが、豚に真珠、猫に小判、僕にニュースという面持ちで適当な返事をして帰り支度をしてしまう。そしてそれは世間のニュースだけではないかもしれない。

 

会社の飲み会で仕事の話になるのがとても苦手で非常につまらないのだけれど、それは共通言語が仕事しかないためだ。会社の人と共有できる言語はそんなに多くない。「◯◯、最近どうすか?」という合言葉宜しく、上司の釣りやゴルフを共通言語としたらいいのだろうか。(そこまでして?)。そもそも僕は共通言語を必要としていないのではないか。

最近では口を開けば恋愛。同棲。子供。色恋。風俗性欲。株式投資に生命保険。共通言語とはいかないけれど、合言葉のようにそれらの話題が始まり、その後は僕の知らない言語が飛び交う。僕にはなにも分からない。みんなの言葉がわからない。

 

ミライ

朝、携帯と時計の目覚ましに起こされる。昨日深酒したことを部屋の臭いで感じる。空き缶と氷の溶けたコップが机に散乱しているのが見える。なんとなく自分も酒臭いような気がする。今日はマスクをしようと思う。

朝日というのはどこまでが朝日なのだろう。昼間は昼日でいいのだろうか。そんなことを考えながら駅までの道のり、背中の障害物群を足早に駆け抜ける。外とはうって変わって、暑い電車に乗って会社の最寄駅に着く。朝食を調達しにコンビニへ向かう。眼鏡はスーツにしまう。目が見えなくても、誰にもぶつからずに進む。会社の人にも見つかっていないことを祈る。透明人間になったかのよう。

狭い割りに混んでいないコンビニで、一直線に水を取りに行く。左に曲がってフルーツ味の小さいカロリーメイトを手に取る。それから野菜ジュースの中でも、特に健康に良さそうなパッケージのものを手に取り、宜しくと頼む。レジ前のわかめご飯のおにぎりを手に取り、ポケットに忍ばせていたパスモで会計を済ませる。この店員は昨日も見かけた。悪いが、まだポイントカードは持っていない。およそ明日もポイントカードは持っていない。それでも明日も聞かれるのだろう。

コンビニを出て、会社までの2,300mをこそこそと歩きながら思い出す。この数ヵ月、コンビニ袋の中身は昨日と同じだ。

午後、お客さんのところに行くために社用車に向かう。これから1時間も運転するのが億劫で仕方がない。思わず小さいため息をつく。車で飲む用に自販の前に立ってみると、いまいち気分のものが見当たらない。久々にコーラを手にすると、ペットボトルより外の空気の方が冷たく感じられた。

帰り道、運転しながら晩飯が面倒だなあと思う。何も食べたいものがないから、立食い蕎麦でも食べて帰ろうと思い立つ。ここ数年好んで口にするのは豆腐、白湯、蕎麦、お茶漬け、フルーツ味のカロリーメイト。味気ないとは思う。子供の頃はわからなかったものたち。

少し残ったコーラを横目になんとかの天然水を飲む。水もよく飲むようになった。大学生の頃はファンタを1日1.5Lも飲んでいたのに。週2,3本飲んでいたから、よくペットボトルがかさんでいた。いつからこんな味気ないものが好きになっていたのだろう。水の入っていたペットボトルを潰す。

舌の突起を「味蕾」と呼び、味を感知する役割を担っている。僕のみらいは、いったいどうだろう。会社に戻る道の中、ぼんやりとそんなことを考えて、数年後の自分に思いを馳せてみた。

方方見聞録・三重2

da-shinta.hatenablog.com

 

続き

 

「岳」というのは、「山」の上に「丘」があることからも、より険しい山に使われる。というようなことをどこかで聞いたことがある。 加えて、僕が嬉々として出張かこつけ旅行の話をすると、人はニタリと笑いながら、口々に「山に登れ」「一人で陶芸体験に行け」「いいや蕎麦打ちだろう」と言ってくる。まるで僕は君達のおもちゃじゃないか。

 

日曜はギリギリまで寝ていた。伊勢神宮を歩き回った疲れが深刻に残っている。何をしようかベットの上で延々と考えていた。伊勢神宮は行った。今から移動して、ネタ作りのためだけに陶芸体験や蕎麦打ちに向かうのも何か違う気がする。他県に行くのも時間がないし、新幹線のある土地でなければ面倒だ。

色々と考慮し、湯の山温泉駅からバスで御在所岳というところに向かった。山だ。いや、岳だ。山など誰が登るものか。男は黙って、岳。帰宅までの移動時間を鑑みると残念ながら一人志摩スペイン村や一人ナガシマスパーランドはキメられなかった。さりとて行きたいところがなかったし、山の方にいけば紅葉でも拝められればと思ったからだ。ちなみに何度でも言うが、山なんか別に好きじゃない。岳だって好きじゃない。麓までバスで10分だというから、まあ”スーツで登山”のいつものネタになれば。くらいの感覚で乗り込んだんだけど、バスが一向に進まない。

渋滞しているのだ。三重の人口が全てここに集中しているのではないかというくらいに車が並んでいる。岳に向かって。土曜の伊勢神宮ならば混んでいても納得ができるが、なんで日曜の朝にみんなが岳に向かっているのかがわからない。どうなっているんだ、三重。わからないぞ、mie。

しかもバスの中は家族連れと、登山フル装備の元気そうなご老体。相変わらず一人で、相変わらずスーツの僕はいたたまれないほどの疎外感。俯く。あと外人さんグループ。どうなっているんだ、外人。日曜朝は岳に向かうのか、Gaijin。

10分だったはずの道のりが既に30分を過ぎた頃、昨日寒かったのを思い出して天気を調べてみた。ちなみに土曜の伊勢神宮は、雪でも降り始めるんじゃないかってくらいに寒かった。風も冷たかった。

 

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おいおい、いい加減にしてくれ。ふざけているのか?

 

バスがようやっと着いて、そこからロープウェイまで軽く徒歩。ちなみにこんな石段を登らなければいけない。石段?ほぼ90度に見えるんだけど、これ崖じゃない?本当?なんかの間違いじゃないよね?途中で脚がガクガクしてきたよ?

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心臓破壊の石段。 

 

ちなみにバスを降りてすぐ、石段までの道に、『涙橋』なるところがある。

 

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 涙橋縁起

元禄年間の赤穂四十七士の(中略)大石内蔵助良雄は(中略)人目を忍んで東海道鈴鹿峠を避け、密かに武平峠(湯の山温泉上流)を超えたことは秘められた事実として知られている。(中略)物見遊山を装った大石は、愛人小柴太夫こと阿軽を伴って湯の山を訪れ同士の集まるのを待った。夜半になって人の寝静まる頃はじめて阿軽にその意中を打ち明け、涙ながらに別れを惜しんだのがこの橋で、後の世にいつしか涙橋と呼ばれるようになった。

 

そしてこの隣には、こんな看板があった。「縁結び」だそうだが、上記の涙橋の由来の正面にあるのは大丈夫だろうか。そういうボケなのだろうか。きちんとツッコんであげたいのだが、ボケでいいんだろうか。不安だ。涙ながらに別れるのではないだろうか。

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 あなたの願いが叶いますように!

 

これを見た大石内蔵助と  阿軽の気持ちはどうだろう。涙ながらに別れた橋の目の前に縁結びの看板を置かれるとは。僕だったら討入っちゃうよ。

 

石段を白目で登り切るとロープウェイ。「15分の空中散歩」ができるらしいのだが、これもまた込み合っている。長蛇の列だ。朝ゆっくり寝ていたことが、かなり時間を切迫している。これに乗って往復していたら、帰れなくなってしまう。しかもロープウェイは小型で、もしかしたら家族連れが笑い声でいっぱいにできる容量だ。そこに「一人だから」という理由で相席になろうものなら、「楽しい家族の15分の思い出を歪なものにした」と同時に圧倒的気まずさが出来上がるに決まっている。その幸せを潰すことと、家族の困惑した視線を考えると頂上には迎えなかった。

 

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右端にロープウェイが見切れている。

 

結論から申し上げよう。紅葉はまだ!んで寒さに震えていただけ。三重の山奥にはユニクロはないのか!どうなっているんだ、寒い、寒すぎるぞ、三重。スーツとセーターでちょうどいい天気にしとけ!この後適当に飯食って名古屋戻って新幹線で爆睡して帰りました!なんだったんだいったい!

もう三重には行かねえ。

 

方方見聞録・三重1

1周年記念じゃい!祭りじゃい!ワッショイ!

 

冒頭から取り乱してしまってすまない。このブログも1年が経ったらしい。それとは関係なく、今回の見聞録はタイトルにもあるように、三重だ。そう、お馴染み出張にかこつけた旅行だ。ということで、三重見聞録について書いていこう。ちなみに三重にした理由は、なんとなくだ。行こうとしなければ行かないからだ。

 

三重には一体何があるか。まずはそこからだ。有名なのは伊勢神宮だろう。あとはなんだか偉い人たちが集まるサミットとかいうのが伊勢志摩で開かれていたのも記憶に新しい。ナガシマスパーランドもある。西の富士急ハイランドにあたる絶叫系が多い大型amusement parkだ。これはいつか絶対行く。もう人生の予定に入っている。いつになるかは未定だ。他には志摩スペイン村。日本にはアメリカ村にドイツ村など沢山の外国村が点在しているが、これもそのひとつだ。余談だが、日光江戸村に関しては分類をどうするかで専門家の意見が割れているそうだ。江戸村て。いつか平成村なんてのもできるのだろうか。

三重はご当地グルメも多い。松阪牛伊勢うどん、てこね寿司に赤福など様々だ。伊勢海老は伊勢湾で取れるからというものでもないらしい。ここいらの難しいことはわからんので専門家にでも聞いて欲しい。あとあまり食べ物に頓着がないのでグルメ的要素は相変わらず皆無と思っていただいて構わない。

 

金曜日に出張先の名古屋を出発し、夜は松阪に泊まった。部屋からは出ていない。ホテルの窓から外をぼんやりと眺め、夜だ。暗い。とは思った。それ以上の感想はない。

翌土曜には伊勢神宮の外宮・内宮を参拝した。お伊勢参りだ。僕は忍者だから伊賀にも行ってみようかと思ったが、些か交通の弁が悪く遠いので断念した。志摩スペイン村に関しても同様に遠く、加えて一人で行ったらいたたまれずに精神がやられると思い選ばなかった。戦略的撤退だ。kashikoi。

 

伊勢神宮は『外宮』『内宮』というように2つに分かれていた。これがとても広い。どちらも広い。明治神宮を思い出す広さとつくりだ。ちょっと遠回りしてしまったが、伊勢神宮の広さをわかりやすいように例えるならば、伊勢神宮と同じくらいのグラウンドの大きさがあると仮定すると、それと同じ広さだと思う。さすが日本人のふるさとと言われるだけある。広い。ちなみに参拝には作法的なものがあるらしい。

神宮のお祭りは、「外宮先祭げくうせんさい」といって、まず外宮から行われます。

www.isejingu.or.jp

 

まずはこれだ。『外宮』『内宮』と分かれているうち、外宮を先に回る。なかでも御正宮と呼ばれるところを先にお参りをする。外宮の場合は衣食住を司る豊受大御神を祀っている。その後、別宮へお参りをするということだ。

内宮の場合、天照大御神を祀っている御正宮を参拝したのち、別宮に行くということだ。詳しいことは各種古文書でご参照されたい。あと、外宮は左通行、内宮は右通行なので追記しておこう。

なんでも外宮、内宮どちらか片方をお参りするのは”Kata-mairi”と呼ばれ、避けられることらしい。僕のようなデキる企業戦士はお分かりのことと思うが、部長に挨拶せずに課長にのみ挨拶することは失礼だし、偉い役員の片方にしか顔を出さないのは即射殺ものだということと似ているだろう。しかし会社と違うところは、お金を渡さないことだ。会社では上司に"ほんの感謝の気持ち"と称して金銭を渡すが、伊勢神宮では御賽銭をしないのだ。御正宮にも賽銭箱はなく、白い布があるのだが、これはお金を投げさせないようにということらしい。銭を渡さなくていいとは、やはり位の高い神は心が広い。 

 

伊勢神宮内では、パワーなんとかというスポットがたくさんあった。レバノンシーダーによく似た立派な杉が多くあったが、一部の杉の表面は滑らかで、人々はそこを頻りに触っては有難がっていた。変な宗教か、はたまたパワー、なんてったっけ、ほら、なんかそういうスポットのこと。多分それだと思う。杉はたくさんあった。そもそもあれが杉である自信がないが、およそ杉。たくさんの背の高い杉が敷地いっぱいにあった。そこからの木漏れ日はなんとなく神々しく、太い幹は頼もしかった。あと寒い。杉花粉の人を連れていくという遊びがしたいと思った。

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幹の表面が滑らかな杉的なやつ

 

外宮、内宮に入っていくときに橋を渡るんだけど、それが神の領域に入っていくという意味になっているらしい。橋から見える川はどちらも澄んでいてふさわしい綺麗さだった。伊勢神宮はどこにいても気持ちが正されるというか、静寂な雰囲気があった。

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内宮内に流れる五十鈴川。御手洗場にもなる澄み具合。

 

参拝が終わって、おはらい町のおかげ横丁へと進んだ。ここは人がごった返している。んで三重、日が出てても寒い。震えながら散策していたんだけど、なんだかどこも混んでいてちょっと萎えてしまった。食べ物屋が多く、てこね寿しを食べたら腹がいっぱいになってしまって、他にも面白そうな食べ物があったんだけど特に口にせずぷらぷらして宿へ。おかげ横丁は腹が満たされると魅力が薄れる。小食には辛いし、スーツにセーターの装備だと寒くて昼間っから酒という気分にもなれない。うーん…

 

夜は湯の山温泉というところの宿に泊まった。なんかわからんが温泉からはほのかにプールみたいな臭いがした。ハハッ!ふっしぎー!!露天風呂は視野が狭かった。夕食も松坂牛はおろか、郷土料理的なものは何ひとつ出てこなかった。一人での宿選びは難しいんだ。まあ泊まれただけでも良しとしたいが、うーん…

 

このあとは部屋で酒飲んで、寝た。

ではまた次回。見聞録なんて碌なことがねえ。

 

想像力と眼鏡

目が悪い。ここ数年、眼精疲労に悩まされている。仕事でパソコンを見続けているからかもしれない。あるいはそれ以外でスマホを見続けたり、本を読んだり漫画を読んだりパソコンを眺めているからかもしれない。しかしこれらは仮定の話であり、実際のところ、理由はわからない。わからないがとにかく疲れている。

コンタクトをやめ、眼鏡をかける時間が多くなった。コンタクトは目を乾燥させ、非道い頭痛を誘発することが多いからだ。コンタクトあるあるとして、一日中コンタクトを付けっぱなしにして、その日の深夜、目の奥から来るひどい頭痛に悩まされるということがある。これは吐き気すらも引き連れて来る。悪夢だ。かといって眼鏡ならならないかといえば、そう話は単純じゃない。眼鏡でも辛いような時がある。

どのくらいの症状かというと、歩くたびに足の裏から伝わって来る振動でズキズキと痛む。以前は、以前はと言っても子供の頃だが、一日中ゲームをやって目を酷使しても頭がぼうっとするだけだったのに、目が歳をとったのか、今はパソコンを1時間眺めているだけでもうごけなくなってしまう。それはまるで小さいおじさんに目の奥をやすりで削られ、まち針を間髪入れずに刺される感覚だ。このおじさんは慈悲のない哀しい見た目で、慈悲なく僕というおじさんの目の奥を痛め続ける。そのため頭痛で動けなくなってしまい、道端で立ち止まってしまうことも少なくない。僕というおじさんの中にいる小さいおじさんが視神経を攻撃している。慈悲も救いもない絵だと思う。小さいギャルだったらご褒美だったのに。神は死んだのか。

なるほど、これはもしかしたら、万が一、あるいは目を酷使したせいかもしれない。と、試しに眼鏡を外して通勤するようになって2年くらいだろうか。少しでも目を使わなければこの苦痛から解放されるはずだ、という浅知恵から。ちなみに目の体操や目の周辺を温めるのでは一向によくならないし長続きしない。やはり神は死んだのか。もしくは休暇をとってバリ島にでも行っているのか。神がいるなら、とにかくコンビニばりに休みなく稼働してほしい。僕は目を休める気が一向にないのだから。

 

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とニーチェは言った。

視力が裸眼0.1もない自意識の強い僕はそんな理由で、裸眼で生活する時間が多くなった。幸か不幸か、面白いことに見えなくなることで副次的効果を得た。誰かの視線を感じることがなくなって精神衛生上とてもいい。ということだ。

今は幾分よくなったが、学生の頃は今より非道い被害妄想のために、昼間出掛けること叶わず、多少込み合ったスーパーなどは、きっとみんな「何あれ気持ちの悪い不細工」「あの木偶の坊、よく外に出られるわね」と自分が罵られているのではないかと思い込み、幾分遅くなって人が捌けてきてからでないと外出できなかった。

ニーチェの引用では自分がそんな攻撃的な感情を人様に向けていたことの証左であるようだが、僕の場合は臆病と戦略的撤退思考ゆえであって、人にはそんな敵意を向けていないこと、賢明な貴方様には御理解いただきたい。そういえば先日の研修で、同期には度々「気付いてないのかもしれないが、口を開くと悪意が溢れでてるぞ。お前はパンドラの箱か」と言われた。『パンドラの箱』のくだりは嘘だが、喋るたびにちょっと小気味良いブラックユーモアをかましてしまっていたことには自覚がなかった。自戒したい。

 

また、視力がなくなることで電車内、あるいは駅に美女が増えた。

これは輪郭や表情がぼやけるために、想像でいいように現実を作り替えてしまっているのだろう。この素晴らしい新世界。近視の方々は、僕と会う際には是非裸眼でお願いしたい。乱視ならなお良い。どうだ、僕が西島秀俊に見えてきただろう。

美女が増えた以外には、フガフガと鼻くそを深追いし、指の第2間接まで鼻に突っ込むおっさんを見なくなったのもいい効果のひとつに挙げよう。

 

最近のゲームはグラフィックがやたらとリアルで綺麗で、主人公の自分に入り込めないという逆説的現象が起きているらしい。昔の野球ゲームは8ビットの、レゴで作ったような粗雑な野球選手を操作したらしいのだけれど、そこには確かに王選手や長島選手がいたという話を聞いて、とても面白い現象だと思った。粗さには想像の入り込む余地があるのかもしれない。

 

最近、携帯を眺め、何となく時間が過ぎていることが多い。暇に潰されている。たまには仰角5度くらいを見て、秋の雲を眺めたっていいのに。行き交う人々をなんにも考えずに見てたっていいのに。何かに追われるように読み漁って自分の世界を掘り下げることに、最近躍起になっている。たまに「筋トレもストレッチも一箇所を執拗にやるんじゃなくて全体を満遍なくやった方が効果的」という話を思い出したり。

見えなくたって面白いことがあるんだから、想像力をと思考を働かせて、視覚以外で楽しめればなあと思ったりする。金木犀は散り、もう少しで紅葉が始まる。秋の雲は速く流れる。