長くなって飽きてきた。あまり気が進まないけれど中途半端に終わらせるのも気持ちが悪いので、さっさと終わらせたいと思います。
さて、心優しき読者諸氏、その身体の横幅に不釣り合いな、無い胸に手を当てて考えていただきたい。ちなみに私は暴力には反対だ。だから力強く握ったその拳を一旦開いて、胸に当ててほしい。余談だが、胸の大きさを気に病むことはないし、ふくよかな人の方が私は好きです。ご安心を。
本題。みなさんは山登りをしたことがあるだろうか。
東京近郊であれば、高尾山辺りが人気だろう。あるいは本格的な人ならば富士山か。もしくは近所のちょっとした山だって良い。海に行ったことはあるが、山に行ったことはないという人は、案外多いのではないかと思うのだけど、どうだろう。
私は外出が苦手で、遠出なんてよっぽどのことがない限りしないインドアというか出不精のエキスパートなのだけれど、そんな私にも登山の経験はある。しかも3回。近年だと海に行った回数より多いし、なんなら年上豊満美女とデートした回数よりも多い。なぜなら年上豊満美女とデートした回数は0回だから。
2度は高尾山。スーツで。理由は会社の、まあ、イベントというか都合というか、巻き込まれ事故みたいなものだった。同期や上司にほぼ拉致監禁されたといっても過言ではない。弊社のブラックぶりがわかるくらい、ひどい人たちなのだ。
そして3回目は今回の滋賀旅行の際だ。これが一番辛かった。というか死ぬかと思ったし、最終的にはもういっその事このまま山中に住んで、なりたかった仙人か天狗をめざそうと半ば半べそ半狂乱になったくらいだった。
18(日)
前日の夜に、地の食べ物も地酒もない、閑古鳥の鳴き声が些か響き渡るくらいがらんとした居酒屋をタクシーの運転手におすすめされ、神がいるとしたら、この善良な小市民をいたぶって楽しんでいるとしか思えない空気を味わった。
唯一よかったことといえば、どうやら行こうとしていた比叡山には滋賀側から電車とロープウェイで行く事ができ、尚且つ同じように乗り継いで反対の京都側に降りればそのまま東京まで新幹線で帰られるという情報を得た事だった。
私は久々にネット以外から仕入れた、言わば地元の人との交流によって得られたこの知識に非常に喜びを感じて、勇んで比叡山に足を踏み入れた。
翌日、ロープウェイを降りて延暦寺に向かっていると、遠くの方から鐘の音が山にこだましていた。疲れから足取りが重く、後ろから来た金髪にスウェットのような派手なカップルに抜かれる。大きな笑い声に驚きながら、彼らもお寺に行くのだろうか、こんな山奥にはクラブやたむろに適したコンビニがあるとは思えないし。などと考えていたら、今度は腰の曲がったおばあさんにスッと追い越された。どんどん小さくなっていく背中を眺めながら、(こうしてみんなに追い越されて、周りには何もなくなる感じ、まるで僕の人生のようじゃないか…)と我ながら訳のわからない悲壮感に漂っていると、とんでもなく大きいお寺が現れた。綺麗な朱色の建物は、なんだかとてもありがたい気がした。工事中の根元中堂の壁一面に貼られた学生やら一般人の習字がとても面白く、一番時間を割いた気がする。教室の後ろの光景が、広いお寺の壁一面にあって、尚且つ色んな字があったら、それは丁寧に見ちゃうよ。
比叡山延暦寺に油断大敵の語源であるとされる『不滅の法灯』があるというのは余談。
一通り延暦寺を観光し、京都へ向かうことにする。どうやら京都側に降りるロープウェイは、山を登った先にあるらしかった。
目的地に向かう途中、登山用の装備に身を固めた人たちとすれ違った。皆、一様に私をみて困惑している様子がある。高尾山で見た表情と一緒だ。
案内板はあまりないが、どうやら道は合っているらしいと思いながら山道を進む。舗装されていない道を1,2kmも進んだ頃だったろうか。急に景色が開ける。
とても気持ちがいい。
老夫婦らしき人たちと挨拶を交わす。またもや困惑顔。片や登山装備。そして私はスーツ。なぜなら仕事のついでの旅行で、余分な荷物は持ち合わせていなかったから。
私が力説したいのは、スーツは戦闘服であるということだ。つまり戦いに適しているわけだ。そこいらのTシャツなんかよりよっぽど強く、外敵や困難から身を守ってくれる。登山だって例外じゃない。何より、私は高尾山をスーツで制覇している。2度もだ。スーツでの登山は慣れたものなのだ。
さすがに靴はスニーカーに履き替えている。これは好判断だった。つまり私には登山に対し、恐れる要素がなかった。さっさと京都側に降りよう。
そう思っていた矢先、自分の認識の甘さに愕然とする。そしてどこかで道を間違ったのではないかとい不安に駆られる。
道がなくなっている。
そんなはずはない。途中で案内板は確認したし、ここから降りてきた人たちともすれ違った。もしや彼らは山の民なのか…
この先にロープウェイはないのではないか。という一抹の不安を抱えるも、もはや戻れる距離と体力でもないので、進むことにする。男はいつだって前に進むものだ。そして山道を2時間近く歩いてきたんだ。戻るなんて恐ろしい。戻ったところで滋賀から京都へ向かう労力も大変なものだし…
更に30分ほど歩いたところ。
イエスイエッッス yeeeeeeeeeeeah!!!
きた!俺は正しかった!神は俺を見捨てなかった!地獄に仏!やっと!やっと降りられる!さっさと降りて俺は座りたいんだ。疲れたんだ!待ってろや京都このッシャアオラアアアアー!
………………………。
………えっ……どういうこと?………いや…………え………いやいやいや………………
いやいやイヤイヤ嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤーーッッ!!!!誰かー!誰か来てーー!
ウンキュウ……?京都方面…運休………?
ははは、まさかね。人生ロクなことがないよね。神も仏もないよね。僕はただ京都側に降りたいだけなのに。
しばし途方に暮れてトボトボと歩き始めると、バスの時刻表らしき看板が。
お、バスもあんのか、よしよし。どうかするかと思ったぜ…まあ仕方がない、バスで京都側に降りればいいじゃないか………。待ってろや京都このッシャアオラアアアー!!
これね。見づらいと思いますので解説しておきますと、冬季運休ということが書かれているんですね。右側中段に『12/5〜3/18は運休してます』的な旨が書かれているんです。この看板を阿呆ヅラで見ているのが12/18なので、多分ね、バスも休みなんですよ。休みだとは思うんですけど、人って絶望すると思考能力が極端に下がって、何かにすがりたくなるんですね。こういうときに怪しい宗教なんか誘われたらどっぷりはまりますね。
結局そこから更に山を登って、バス停まで行きました。きっとバスが俺を迎えに来てくれるんだァァアアアアーーー!!!信じねーぞ休みなんて!!!!!
すごい!天気がいい!空が近い!そして寒気がするほどの静寂!
人っ子一人いないとはこのことか。びっくりした。30分ほど座り込んで、冷静を装って持っていた本とか読んでたけど、遠くの方から鐘の音が聞こえるくらい。それ以外に音がない。静けさに涙が出そうになることってあるんですね。もう降りるのも面倒だし、ここに住むのも悪くないかなって思った。
待ったものの、バスも来ないので、歩くことに。
疲れと絶望から足元がおぼつかなくなるんですが、ちょっと間違うと、60度くらいの傾斜というか崖が待ち構えているんです。ごろごろと転がりながら下りれば、きっと早く着くだろうという下策が一瞬頭をよぎるんだけど、多分バラバラになっているんだろうなあというなにかと現実感を失った役に立たない思考ばかり浮かぶ。
そうしてフラフラしながら3kmほど降って、元来た駅に降りて、電車に乗り継いで、京都へ。そして新幹線へ。
もう滋賀には行かねえ。