よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

さよならの情動

それは確か社会人4年目のことであり、7年が経過していることになる。

新しく中学生、高校生になった学生たちで混んでいる通勤電車。あるいは社会人一年目と思しきスーツ姿が散見される。わたしは着慣れたスーツに身を包み、音楽を聴きながら、以前勤めていた会社の研修補助を思い出していた。かつて新入社員だった後輩達は、7年経ち数も半減した。それでも残った人たちは立派にやっていると後輩から連絡をもらったことを思い出した。

 

以前勤めていた会社では、4年目になると新入社員の研修補助として数日間、後輩の面倒を見るという風習があった。普段の業務を離れて補助として働いていた頃によく聴いていたのが、サカナクションのさよならはエモーションだった。

 

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サカナクション / さよならはエモーション

 

今年度、この4月から転職した。人生初の転職である。経験者採用ではあるものの、11年振りの新入社員として研修を受けた。周りには専門学校卒や短大卒もおり、同期は若い人になると20歳で、30も中盤に差し掛かったわたしにとって同期というにはあまりに歳が離れ、あまりに初々しいかった。

研修はわたしより年下の講師が務めることもあり、今後年齢や役職は下だが入社歴が上の先輩や後輩と接する未来を垣間見た気がした。とはいえ、100人もいる同期の中にはわたしより年上もおり、今まで経験したことのないねじれを体感した。

 

「ずっとこの仕事に就きたかったので、今わくわくしています」と新卒の同期が言った。なんとなくで決めたわたしにとって、その熱さは少し鬱陶しく、羨ましくもあった。特にうまくいかなかった日に、逃げるように(本当にこれでよかったのか?)と問い続けている自分には、まぶしく感じられた。周りはわたしに早く転職しろと言ったが、本当にこの転職が正解だったのか?と疑問が頭によぎるたび、自分の後悔上手が恨めしくなる。あのままあの会社にいたらどうだったのだろうか。たまにそんなことを考えてしまう。どちらにしろ結末は霧の中なのにもかかわらず。

 

桜が散って、つつじが咲いた。前職の会社近くの商店街は、この時期になると提灯で桜をライトアップしていて、その景色が好きだった。度々前職と比べてしまうのは未練からではなく、決別からくる寂しさなのだと思う。提灯のようにそこだけ明るい深夜のコンビニに寄り道して、感傷に任せて缶コーヒーを買った。エモーションの意味はよくわからないが、さよならのこの少し寂しい気持ちは好きだ。