よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

ライ麦畑でこんにちは

2016年11月にこのブログを始めた頃、仲の良かった友人にお前もやってみないかと誘ったことがあった。私は学生時分から度々人に文章を書くことを勧める時期があってよく鬱陶しがられていたのだが、この友人は違った。ありがたいことにすぐさま始めてくれた。もともと凝り性な秀才なだけあって、文章力もみるみる上がっていった。

そのブログが、僕より遅く始めたのにもかかわらず、速筆な性質も相まって100記事に達したとのことなので(私はこれが91記事目らしい)、それを祝して盛大に、当てこすりのように誉めそやして辱めてやろうと思う。

 

ライ麦畑で叫ばせてというブログである。思う存分に叫ぶといい。J.D.サリンジャーライ麦畑で捕まえて欲しがるが、彼は違う。叫びたがっている。不満を、主張を、欲望を!しかし、気の良さから、誰かの許可を待っている。叫ぶ!ではなく、叫ばせて。といっている。私はそれを後押ししたい。思う存分叫ばせてやりたい。

 

さて、ではなにを叫んでいるのだろうか。さっそく見てみよう。

daikio9o2.hatenablog.com

ノーベル物理学賞の話だった。叫んでいない。「自発的対称性の破れ」など叫びとは遠いところにある知的な内容が、私のような学のない人間にもわかりやすく書かれている。友人はたまに知的なことを言い始めるが、内容を易しくしてくれるので自分の頭が良くなったような錯覚に陥ることがある。自分には書けないので、これは羨ましい能力である。押し付けがましくない知性は面白く、尊敬できる。

いや、叫べよ。

 

次はどうだろう。

daikio9o2.hatenablog.com

炉端焼きでそら豆を食べた話だった。ジャックと豆の木はイギリスの童話らしいが、まさかすべては腕力で解決する。という内容だったとは。私も記憶が曖昧なので否定はできないのだが、それほど力強い結論の話というのも斬新だ。男とは顔や年収ではない。腕力だ。そして腕力と食い合わせがいいのが叫ぶことだ。

知的な内容から一転、男らしさ溢れる話もできるとは、幅が広くてなんとも羨ましい。

 

もう一つだけ読んでみよう。ちなみに叫んでいないしライ麦畑でもない。

daikio9o2.hatenablog.com

話を繋げる媒体として麺を登場させて、その時々の感情や出来事を哀愁漂わせながら進めている。体験したことがない内容なのに、なぜだか懐かしい気持ちになってくる。同系統の内容だと日曜は中華の香りなんかもあるのだが、導入だけでも膨らませそうなところを発展させて、本題を強固にする文章力は見習いたいところである。

 

 

他にも取り上げたい記事はあるのだが、長くなりそうなのでこの辺で。気になった方は本人の分析癖が垣間見えるはじまりの99記事を振り返るも楽しめるかもしれませんよ。

以上、ライ麦畑より愛を込めて。