よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

肯定の別れ

先月誕生日を迎えてしまい、どうやら28か29歳になった。歳を取るにつれ、自分の歳はおろか誕生日もあやふやになってしまっている。何かの申し込み用紙に誕生日を書き込むとき、たまに1,2日間違ってしまうくらいなので、人に祝ってもらってやっと誕生日に気づくありさまだった。この歳になると誕生日には心は躍らず、そして僕のように人間関係が希薄であると誕生日などはもう子供の頃のように大きな出来事ではなく、話題になるのは結婚である。

 

先日、まったく使っていないフェイスブックを覗くと、見慣れない名前がなにやら投稿していた。ステータスなるものが更新され、何人かがいいねをしていた。よくよく見てみると、大学生の頃に付き合っていた人の苗字が変わっていた。どうやら結婚したらしい。いい人が見つかったのだろう。余計なお世話ではあるが、ちょっとした安堵感を覚えた。

 

以前帰省した際、地元の友人と飲みに行った。友人も結婚していて、ビールを飲みながら最近の生活を聞いた。未婚の僕には分からないものばかりだったが、結婚生活自体は順調とのことだった。少し嬉しくなった。

友人は僕の顔色を見ながら、同級生の話をしてくれた。その人は優秀で切れ長の目の可愛らしい人だった。中学の頃の僕の彼女だった。

付き合っていたといっても、1週間、どこに出かけるでもなく一緒に帰るでもなく、本当に何もないまま終わった相手だった。一瞬のことで当時の僕には本当に付き合っていたのか、何がなんだかよく分からなかった。多分、中学の恋愛なんてそんなものなんだと思う。

 

しかし、唯一成人式のときの思い出がある。式が終わり、ホテルでの学年の飲み会も終わり、3年生のクラスの人たちと居酒屋に入ったときのこと。みんな酒で酔い始めた頃、トイレのために席を立つと、戻った頃にはテーブルの端にあった僕の席には他の人が座っていた。仕方なく空席を見つけて座ると、隣には付き合っていた彼女が座っていた。周りと近況を話し合いながら、会話が途切れたとき酔いに任せて僕は彼女と当時の話をした。そのときにちょっとした未練みたいなものが心の中に生まれるのがわかった。相変わらず笑うと目がとても細く、可愛かった。周りは付き合っていたのを知らなかったと驚いていた。誰にも言っていなかった。そもそも僕も本当に付き合っていたのかよくわかっていなかった。

彼女は、別れを告げたとき貴方も引き止めなかったじゃんと言った。それが一番の思い出で、さよならこそが付き合っていた期間を肯定するという不思議な体験にであった。彼女は今年、結婚する。