よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

サボテン

犬は人に付き、猫は家に付く。とはよく言ったもので、よく言ったものでとは言っても詳しいことは私にはわからないけど、会社から社用車の駐車場までの間に猫がよく丸まっている。その鎮座たるや、まるでその場所の主と言わんばかりの立派なものである。その堂々たる風格に、「どうも、こんにちは」と上司にもしないような丁寧な挨拶をしてしまうほどだ。

 

ネコが人気だ。SNSからYouTube、映画や雑誌に至るまで、ネコだらけである。仕舞いには耳がなく身体中青色のネコ型ロボットなんてホンワカパッパなものまでいる。しかもどら焼きが好きだという。故障しないだろうかとついいらぬ心配をしてしまう。

たまに犬猫論争に巻き込まれる。「貴様、犬派か、猫派か」と鼻息荒く迫られる。どちらも飼ったこともなければ、同様にかわいいんだろうと思う。私は猫アレルギーらしく、どうにも痒くなっていけない。

しかし、本当にかわいいのか、実際のところ僕にはよくわからない。どうにも自分は記号としてのかわいさしか認識できない。本当に心底かわいいと思っている人たちから感じられる熱意というか、切迫感というか裏のなさ、そういうのが自分にはない。みんな本当にそんなに愛でているのか?打算や意図はないのだろうか。

人の言う「かわいい」を学習し、周りの反応から「人はどういうものを愛でるのか」というのを積み重ね、なんとか話を合わすことができるようになったのはここ数年の話だ。

 

私はたまにサイコパス扱いされたり、そこまでではないにしろ、特に人間関係を指して「ドライすぎて怖い」とたびたび引かれることがある。人間との生活に向かないと言われたこともある。随分ひどい言われ様だとも思うが、複数人から言われるあたりどうも私自身に少なからず問題がある様に思われる。

ある人からは「動物を飼え」と言われた。アニマルセラピー。それで少し人間の心を養えということだった。動物と触れ合うと人らしい気持ちが芽生えるらしいが、性分からか、どうしても無性に可愛がり、人らしく可愛がらなければならないような圧迫感に辛くなってしまう。それに生き物を飼うのはそんなに簡単なことじゃない。家の問題とか、世話とか、お金とか。全ての問題がクリアされるなら熱帯魚を飼いたいという願望はある。

ならば手間のかからない植物などどうかと思ったが、観葉植物は大きくて狭い部屋を圧迫するだけでなく虫が寄ってきそうで断念した。虫は嫌いだ。ベランダで青紫蘇も考えたが、食べずに枯れていく様を考えるとそれだけで悲しく心がさらに荒んでしまう。ならばとサボテンを買ってみようかと考えたが、ううん、なんだかOLっぽくて躊躇う。結局向いていないらしい。