よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

合縁奇縁

ホームに駆け上がり、息を弾ませたまま新幹線に乗り込む。年末年始だからか、覚悟していたよりも人が多い。盛岡行きに飛び乗り、足早に車内を進み空席を探す。おじさんが通路側に身を乗り出していて歩きづらい。背負ったショルダーバッグが当たらないように細心の注意を払うが、なんで自分のほうが気を遣っているのかと少し情けなくなり、次第に苛々としてくる。

どうにか見つけた席に深く腰掛け、お茶で一息つく。さっきのおじさんの顔がちらついて、また少しささくれ立つ。仙台までは2時間かかる。外の景色は既に黒くなり始め、街灯がその中で心細く点灯している。あぁ、この光景を何度見たことだろうか。あと何度見るだろうか。

 

年末の疲れからか、昔の夢を見た。高校生の頃、初めて引越しというものをした。といっても1kmくらい先の家で、何度も行ったことのある場所だった。元の家の2階からの、18年住んだ場所から見えた雪景色や紅葉は、27になったいまでは既に朧気で、何度も見たはずの光景が微かに思い出されるくらいだ。忘れる、ということを実感する。

そして大学生になり、半年ばかりで引っ越した実家を出て仙台に住んだ。慣れなかったのも始めだけで、一人暮らしの気楽さという名の下、自堕落な生活にとっぷりと浸かった頃、疎遠になっていた友人と思いがけず再会した。おかしな偶然もあるものだとしみじみ思う。

その友人は多少離れたところに住んでいながらも、お互いに友達がいなかったためか、再開からたびたび会うようになった。ひどい時には週4回も飲みに行ったりして、周りの人たちを呆れさせていた。彼の家も僕の家も、学生の部屋丸出しというか、よくある1kの間取りだった。僕の家の方が小汚く、変な匂いと壁の薄さと締まりの悪い玄関を擁していた。

 

それから僕は、危ういながらもなんとか4年で大学を卒業し、就職のために上京した。友人は大学院に行くということで、そのまま仙台に残った。それから5年が経った。

しかしお互いに人間関係がなかったためか、20kmだった距離が17倍の350kmになっても、出張や帰省がてらと折を見てはゲフゲフと薄気味悪い笑いをたて、バイオハザードをしながら昼間っから酒を飲んでいた。周りの人たちからは同性愛を疑われていた。僕も友人も女の子が大好きだった。

 

新幹線のアナウンスに起こされる。2時間はいつも覚悟する割にはすぐだった。仙台に着き、友人宅にある僕の部屋で荷ほどきをする。その友人は数年前から仙台で同棲しているのだが、彼らはその家に”スズキの部屋”と呼ばれる1室を用意してくれた。その話を聞いた時、僕は気恥ずかしさから平静を装ったが、内心とても嬉しかったのを覚えている。この家はなかなかよかった。小綺麗で、整理されていて、住む人たちの一端をよく表していた。

彼らは今年、首都圏へ引っ越す。その報告を聞いた時、僕はとても喜んだのを覚えている。おもしろい偶然もあるものだと思った。

 

数日を"僕の部屋"で過ごす。何度も生活するうちに、いつも我が物顔だから、彼らはもしかしたら驚くかもしれないが、やっと馴染んできたところだった。名残惜しさと荷物をまとめ、自分の実家へと向かう新幹線に乗る。

過ぎていく景色。まだ明るい仙台は、何度も見た、変わらない光景だった。僕は4年住んだ。それから5年、ことあるごとに通った。彼らの用意してくれた部屋は、帰省の道すがらということもあり、足が遠のくことはなかった。ひどい時には月に2度も行った。家賃は払ったことがなかった。何度も行った割には、仙台に詳しくなることはなかった。ジャズフェスの時期が一等好きだった。

 

この光景をあと何度見るだろうか。彼らの次の部屋はどんなだろうか。僕の部屋はいつも変わらない。