よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

龍角散とポカリ

これは一ヶ月前に書いたものなので、時間感覚がおかしいですが、気にせず読んでください。

 

 

あめーっすこしゃっすー

2020年、明けたかと思ったらすごい勢いで1月を終えようとしているので、なるべく早口での新年の挨拶です。

始まったことを認識しておかないと、また年末に「勝手に終わろうとしている」みたいなことを言い出しかねない。

 

昨年は例年に比べて体調を崩すことは少なかった。精神的には例年並みに荒れていて、たまにはと思って会社の飲み会に参加すると、ことごとく誰かともめるような有様だった。僕にも言い分はあるのだけれど、結局は『飲み会に参加しない』という自らのルールを犯した自分を責めている。なんでも昨年末は『忘年会スルー』というワードが人気だったらしい。飲み会に出ない僕からしたら、とてもいいことだと思う。行きたいやつだけ行けばいい。

 

体調を崩すことが少なかったとはいえ、騙し騙しやっていた歯が痛くなって、とうとう堪らず歯医者に行ったらとんでもないことになった。

歯医者というのは不思議なもので、後回しにしてしまうものである。歯医者特有の音もさることながら不調に気づきづらいこと、すぐに対処しなければならないような緊急性に欠けること、そして「痛いのを治すのに、より痛い思いをしなければならない」ということが関係あるのではないかと思う。

以上の理由から御多分に洩れず歯医者を後回しにしていると、どうにも嫌な予感が確信めいていくのを感じて、観念して歯医者に行った頃にはもう遅かった。以前治療した部分が虫歯になっていて、神経ギリギリまで歯を削らなければいけなくなってしまった。削った部分は歯があるにもかかわらず、限界まで薄くなって歯肉の薄ピンクが透けて見えていた。

 

友人は「子供の頃、風邪の時はオーザックを食べていたからか、今でも体調が悪くなるとオーザックが食べたくなる」と言っていた。これはパブロフの犬的ルーティンであり、そして祈りのようなものでもある。

僕にも心当たりがあって、子供の頃ではないのだけど「体調が悪ければ龍角散とポカリ。これで万事大丈夫」と思っている節がある。この2つさえあれば、「般若」と言われる人相の悪さも「二言目には悪口」を言う性格の悪さも治るのだ。

 

しかし残念ながら虫歯には効くはずもなく、冷たいポカリはしみて、龍角散は龍の角どころか僕の歯を砕こうとしてくる。人歯散にでも改名した方がいい。痛い。痛くて堪えられない。だいたい歯の神経がこんなに敏感である必要がどこにあるのか。歯の堅牢さと神経の弱さ。冷静と情熱の間か。勝手にツンデレをするな。

痛みに堪えかねて薬局をさ迷うと、いいものを見つけた。これはもはや運命と言えるのではないだろうか。

痛散湯。痛みが散るらしい。痛くなければ問題ない。