よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

滞っている

ぼんやりしているうちに10連休が終わった。特にどこに行くでもなく、そのほとんどを友人夫婦と過ごし、半ば僕も苦笑い。先日、その友人から本を頂戴した。村上龍の『五分後の世界』だった。以前、「限りなく透明に近いブルー」で挫折した経験があった。村上龍か…と少し気構えたが、読んでみると確かに村上龍の文体ではあるものの最後まで滞りなく読み終えた。村上龍自身は嫌っているようだが、強く言い切る文体は『すべての男は消耗品である』のようなエッセイが合っていると思う。

 

人に誘われて近代文学館に行った。ありがたいことに「生誕110周年 太宰治 創作の舞台裏」という催し物をやっていた。提出した宿題やノートの落書きなんて、本人はひどく狼狽するだろうと思われて、いらん心配ではあるものの注視できなかった。その反面、現代の作家は生原稿やノートの落書きなんてないだろうし、そもそもノート自体がないだろうから、没後の催しはほとんどが周りの人へのインタビューとか動画になるんだろう、それはちょっと寂しい気もする。

「富士には月見草がよく似合う」が印象的な『富嶽百景』や『惜別』の資料を見ると、書くのには大変な勉強というか調査が必要で、他の構想メモには一文を何度も推敲した跡もあった。自分は読むときにそこまで理解できている気がしないので、まったくもったいないというか、誠実でない気がして恥ずかしい。少しくらい頭が良くなりたい。

 

今年は比較的自炊をしていたのに、仕事にやられて一旦やめてしまったらまったくスーパーに行かなくなってしまった。久しぶりに足を運ぶと、さくらんぼうがあったので金額もよくわからずに買ってしまった。既に一週間くらいたっている。昨年、人からもらった佐藤錦をあまりに大切にして、加えて果物は存外日持ちのするものだからと食べないでとっておいた。いつだったか、いよいよ食べようと思った頃には白いカビが生えていた。ひどく惨めな気持ちになった。食べ物を粗末にするたびに恥ずかしくなる。賞味期限というものがなければ、期限というものを誰かに決められなければ、自分にはなにもできないのかと思ってしまう。普段は、特に仕事では期限を憎み縛られたくないと思っているくせに。

楽しみにしていたよつばと!の14巻も、封を開けずに1年以上経ってしまった。実家に送る荷物も、もう随分放っている。常に頭がぼんやりして、一体なにをしたいのかよくわからない。