よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

頭の引き出し

最近物忘れがひどい。あまりにひどいので自分に言い訳をしている。「初めから覚えていないわけで、つまりは忘れていない。だから記憶力が悪いとか物忘れとかそういう問題ではない」と自分に言い聞かせるのだが、人から指摘されるとあぁそういえばと思い出す。思い出す以上は認知症ではないらしい。そもそも、覚えてないからどうのという話ではない。後輩が秘書役に徹してくれて、なんとか仕事は出来ている。代わりにほぼ毎日物忘れ外来へ行くことを勧められる。先輩の威厳も忘れて苦笑いするばかり。

 

先日、スーパーで買い物をし、レジで会計を済ませて袋に飲み物などを入れていた。買った肉団子と肉じゃがは薄いビニールをロールから引っ張り出し、最後に入れようとカゴの横に寄せておいた。家に帰ってみると、洗濯機の中まで探しても肉団子肉じゃががない。どうやら袋詰めのカウンターにそのまま忘れてきたらしい。

後日、肉団子リベンジをしたのだが、今度はビールをカゴに入れようと肉団子をいったんビールが積まれている棚に置いてそのままだったのを、家に帰って洗濯機の中まで探したあとレシートを眺めて気がついた。いくら阿呆とはいえ、なぜ洗濯機の中を探しているのか。お前は食べ物を洗濯機に入れるのか。いったん洗うのか。そしてどれだけ肉団子が食べたいんでしょうね。

またあるときは、会社で忘れ物をした。台車で車に荷物を運び、荷物を車に積んで台車をそのまま会社の前に忘れてきた。そんなことがあるか。キサマはなにで荷物を運んだのか。こうなると忘れたというか注意力散漫なのかよくわからなくなる。

 

ところが僕はどうにも忘れることに一種の「天才性」を見出してしまう。アインシュタインは自分の家の電話番号を覚えていなかったという逸話がある。曰く「調べられるものをいちいち覚える必要などない」と。まったく僕も同じで、とは言っても僕が言ったところでただの頭のおかしい老人のうわごとなのだが、「自分は思考力にパラメーターを振っているからだ」と何の確信もないことを思うのだ。我が軍にアインシュタインあり。

以前、高学歴メガネ友人に「お前は頭の中の引き出しが雑なんだよ」と言われた。頭の中に引き出しがあってたまるかこのメガネめ!と自分のメガネを拭きながら思ったが、僕は学歴や権威に弱いのですべてを認めた。確かに引き出しがあるなら、高学歴メガネの脳内は綺麗に分類、整理されている気がする。一方で僕のは大きな引き出しになんとなくで入れている。そしてその引き出しは最近穴でもあいたのか中身がこぼれ落ちている。

しかし、これだけは声を大にして言いたい。「我が軍にアインシュタインあり」と。