よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

閉店しました

疲れて会社を飛び出し、帰宅のために電車に飛び乗る。ぼんやりとし、目の焦点が合っていないことに、一駅過ぎてしばらくしてから気づく。日が随分長くなったはずだが、もう空は暗くなっていて僕の疲れた顔を窓が映し出していた。電車内を眺め回すと、アニメ化決定を告げる漫画の広告。今からでも夏に間に合うと宣伝する女性の中吊り。そして永代供養墓のステッカーが窓に貼られてあった。

 

GWに帰省をした際、母に署名を求められた。なんでも死後の墓のことに関する書類とのことだった。代々の墓と書かれた墓が近所にあるはずだが、金銭面等々を考慮すると自分はこれがいいとのことだった。相変わらず随分考えてくれているのだなと思った。軽く目を通し、親のしたいようにしてほしいという旨を伝えた。特に反応はなかった。僕もそれでいいと思った。

実家のリビングでぼんやりとしながら署名をしていた。母は習字を習っていたから字がうまく、度々私の字を酷評する。それを思い出し、署名をする手が何度か止まりかける。初めて自分の名前を長いと思った。そうして、ああ、いつかこの人たちは死ぬのだと、少しだけ実感した。頭では理解していたはずのことなのに、肌が理解するとはこういうことを言うのだろうか。自分がなにも分かっていなかったことを理解した。

 

彼らが亡くなったらどうだろう。きっとああしたらよかった。みたいなことは、多分僕はあまり思わないだろう。薄情かもしれないが、どこまでやってもたらればは尽きないのだし。何より、与えることで得られる幸福をお互いに求めていないのだから。

卒業式よりも式の後の春休みにふと寂しくなるのと同じで、ある日急に喪失感が現実味を帯びるのだろうと思う。休日、季節の変わりの夕暮れにふと寂しくなって、手持ち無沙汰な気持ちできっとスマホをいじり、電話をするだろう。そして、出ないとわかってかけたはずの電話に聞きなれた無機質な案内が流れて、叫びたいような泣き出したいような、そんな風にどうしようも無くなるのだと思う。

 

最寄り駅のお店が立て続けに閉店した。なんでも再開発があるのだとかないのだとか。なくなった店の電話番号を眺めながら、僕は通話を押したらどんな気持ちになるのかを想像してただ立ち尽くした。単なる感傷だとわかっていても、番号は消せなかった。数日後には店舗が壁に覆われて、その数日後には壁も店舗もなく、何かがかつてあった輪郭だけを残している。