よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

ラリー

元々寝つきがよく、朝になっても目の覚めない人間だ。そのはずなのに、ここ1ヶ月近く、寝ても目が覚めてしまうような生活を送っている。あるいは、説明しづらいのだけれど、腕や脚の神経がうまく反応していないというか、力が入りづらくなるような感覚があって気持ち悪くて仕方がない。何かの病気だろうか。

いつの間にか生温くなった風に気付いた頃、暖かくなって春だと思っても一旦気温が下がるので体調管理に気をつけてください。と朝礼で誰かが言って、そうか春だからかとようやくわかった。そういえば、昨年の季節の変わり目にも同じような状態になっていたことを思い出した。交感神経と副交感神経が云々。1年前の今頃は、目が痒くなったり、鼻水が止まらなくなってしまっても頑なに花粉症を否定し続けていたら、いつの間にか平気になってしまって、周りの花粉症の人たちの「花粉が飛び始めた」「花粉が見える」という言葉に笑ったり首をかしげたりしたのだった。

 

最近、毎週末梅を見に行っている。先週は茨城県偕楽園に行き、ようやく日本三名園を制覇した。他には湯島天神亀戸天神に行った。少し厚着をして、群生した梅の香りに包まれながら屋台で冷えたビールなどを飲んで、ずいぶんいい気持ちだった。早咲きのものは散り始め、地面を白くしていた。もう遅くなり屋台も店じまいを始めた頃に外に出ると、閑静な住宅街にあって一本の梅が咲いていた。淡い緋色の、幹の黒く独特のうねりがあった。匂いこそわからなかったが、その静かな佇まいが一等よかった。梅は桜と違って群生していないものの方が、味わい深いと思う。

 

今年も、会社説明会なるものの一部を担当することになった。前回の資料に手を加えていると、当然のことながら前回のプレゼンから1年経ったことを知る。会社では組織改正と人事発令があり、また大変なことになりそうだなあとぼんやり考えていた。もしかしたら異動があるかと思うと、途端に嫌気がさした。いつまでここでこうして働くのだろうか。などとぼんやり考えた。そしてそれは昨年も考えたことだったと思い出す。なんとなく、自分の一貫性を強く肯首したくなった。

 

春が来る。春が来る。そう思っているうちに暑くなって、シャツはまくられ、長袖は出番を失う。ぼんやりしているうちにまた長い夏が始まるのだろう。これも毎年考えることだった。一貫性を強く肯首した後に、毎年肯首していたことを思い出した。また繰り返す。また、春が来る。