よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

私の本棚

読書家の友人に、「貴様の薄汚れた気持ちの悪い本棚について、ブタ面に汗をかきながら書け」という意味の丁寧語をかまされたので、今回はそれに則って書いていこうと思う。

 

まず本棚そのものなんだけれど、家には3つある。その中の細長い1つはイケアから買ってきたものだ。細長くて、そこはかとない北欧感がある。さすがイケアだ。とてもお洒落だ。僕の部屋にそこはかとなく合っている。お洒落だ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。お洒落な本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

あとは漫画が1段3列に連なって納められている本棚。恥ずかしいことに1段の耐荷重を知らないので、いつ崩壊するかわからない。そんなドキドキ感を内包している。僕の部屋にとても合っている。ドキドキだ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。いつ崩壊するのかわからない本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

あとは机の袖にある本棚。これは特になにもない。僕の部屋にとても合っている。虚無だ。この雰囲気は筆舌に尽くしがたいので、気軽に我が部屋に飲みに来てほしい。前述の2つに比べ、まったく特徴のない本棚を眺めながら飲もうじゃないか。

そして収まりきらなくなった本が部屋に散乱している。圧倒的に本棚が、というか本棚を置くスペースそのものが足りていない。リアス式海岸よろしくその複雑かつ素晴らしい景観は気軽に見られる日本の三勝景に選出されたとか。

 

さて、本棚自体の紹介はここまでにして。今回紹介する本棚は北欧溢れんばかりの、うっかりするとお洒落さんと繋がっちゃいそうな、格好良い細長本棚の中身についてだ。どうせ本棚について書けといった友人は、僕の偏った蔵書を見てセンスがないの精神が捻くれ曲がって手のつけようがないだのブタ面トラックだのと嘲りたいのだろうから、その欲求を忠実に叶えてあげたい。なぜなら僕は優しいから。面倒臭優しいから。

 

まず、父からもらった本がある。「D・カーネギー」だ。読んだことがない。ただ鎮座している。いつか読もうとは思っているが、今のところ食指が動かない。父上からは度々本を頂戴するが正直僕にはよくわからないものばかり。将来解る日が来るのだろうか。

本棚には新潮社御中から出ているものが多い。その筆頭は太宰治。これは出ているものはすべて揃っている。僕の今の一押しは「走れメロス」だ。この中には、「駆け込み訴え」や敬愛止むことのない「トカトントン」などが入っている。

芥川龍之介もすべてではないが揃っている。芥川もぜひ制覇したいと思っている。「河童」を読んだときの感動と言ったらそれこそ筆舌に尽くしがたい!いったいなんだ!本棚がどうだとか、そんなの尽くすまでもない!

そして太宰治のすぐ横には三島由紀夫が並んでいる。初めて金閣寺を読んだとき、その表現力と洞察に足元がよろめいたのを覚えている。なのにレター教室や不道徳教育講座などの、金閣寺とはちょっと違った文体があったり、なんというか"選ばれた"んだろうなと得心していた。

田山花袋は布団、田舎先生しか読んでいないが、自然派というものを調べたのはこれがきっかけだった。強烈な文豪性みたいなものは感じなかったが、そのちょうどよさみたいなものが心地いい。

横光利一は機械・春は馬車に乗ってを拝読し、めっきり心酔してしまった。他の作品は今ではなかなか売っていないらしく、非常に、非常に残念極まりない。

実は私は自分が悪いということを百も承知しているのだが悪というものは何といったって面白い 

『機械』

という一文で、もう素晴らしいことがお解りかと思う。

中島敦山月記だろう。教科書に載っていたが、今読んでも面白い。最高だ。どこぞの書店で『中二病の真髄!』というポップを見かけたときは担当者のケツを蹴りあげてやろうと思ったものだ。

川端康成井伏鱒二森鴎外泉鏡花坂口安吾夏目漱石も何冊かはあるが、僕には少し難しく、なかなか次を読もうという気になっていない。ここら辺が楽しめるようになると、もう少し僕も文章の妙味がわかってくるんじゃないかと思っている。

近代から時間をぐっと進めると、森見登美彦が多い。森見節は癖になる。きっかけの「四畳半神話体系」や「夜は短し歩けよ乙女」を読み始めたのは幾分ブームが過ぎた後で、本屋では既に平積みから棚差しになってからだった。ブームに乗らなかった理由は「売れ線に負けるのが嫌だが、なんとなく気になっていたので落ち着いてきた頃合いを見計らった」というもの。僕には今でもこういう変な意地の張り方みたいなものがあって、だいたいそのために人と分かち合うことができない惜しい性分だ。

最近読み始めたのは湊かなえだ。読みやすく、変にご都合主義ばっていないので僕は好きだ。「告白」はあまり触れたことのない構造で、現代作家はこういう風に書くのだろうかと思い込んだ記憶がある。

シェイクスピアは父上に教えられた。出版社によって訳や解説の仕方が変わってくる。僕の好みは角川文庫御中だ。頁の下部に台詞や文化の解説があって、気持ち良く読み進められる。

筒井康隆は、旅のラゴスを初めて読んで、どっぷり浸かりたいと思った。自選ドタバタ傑作集は筒井康隆らしいエログロSFナンセンスとなんでもありで、読むのが怖い表現があったかと思えば笑ったりと忙しく読んだ。

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長くなってきたので今回はこの辺で。ではまた来世。