よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

親子二代のマドロスなのに

ゴールデンウィークである。『ゴールデン』の名を冠するにふさわしい連休だ。GWに入る前、上司が仕事をしているのを横目に、僕はせっせとスケジュールに『有給所得奨励日』と打ち込んでいた。またあるときは、連休を決め込もうという僕のことを、上司がスライムのごとく仲間になりたそうにこちらを見ていることを感じつつ、有給取得に関する書類を上司に提出し、結果僕はそのウルツァイト窒化ホウ素にも引けを取らない硬い意思のお陰でゆったりと自堕落に休んでいる。

驚くなかれ、9連休である。私は少し驚いている。というのも、去年の今頃は土曜も日曜も祝日もなく駆り出され、挙句の果てに代休は消化できずに消えてしまったほどだったから、あるいは今年も休めないのではないかと半ば諦めていた。

諦めていたと入っても、勿論『不用意に仕事を入れたらてめぇの顔面の骨格を珍しいかたちに変えてやるからな』という気概は捨てていなかった。そのギラギラとした気迫の賜物でかくも長い休みを得られたのだろうか。仮にそうだとするならば、この気迫は捨てずに一生持ち続けたいところである。

 

さて、人間関係がない私だ。友人とライブ(THE  MATSURI  SESSION)以外に関西から後輩が遊びに来る他は予定がない。予定のない半数を読書やアニメや音楽、あるいはお駄文に費やしても楽しいとは思ったが、私は短い時間ではあるが帰省をした。始めは(金もないし、何より往復で相当の時間がかかるから、帰省はやめてのんびりしていようかな…)とも思っていたのだが、家族全員が高齢で、(あの人たち、ちょっと顔を見せないとうっかり死んじゃったりするかもしれない)という不安が襲ってきたので、家族という素晴らしい人間関係の有無を確認するために新幹線に乗り込んだ。

 

結論から言うと、家族は皆、アラサーを目前にした私よりも元気であり、体力がないとか食が細いだのと言われるくらいだった。加えて「性格が悪い」だの「一言も二言も多いから彼女ができない」だの、「ひどく面倒臭い」と老人性元気で罵倒されるばかりだった。

しかし私にも反論がある。面倒臭さの半分以上は父譲りである、と。

 

帰省初日のことだ。家族で焼肉を楽しんでいるときの父との会話。なんの流れか私は「酒を飲んで書いて暮らせればそれ以上のことはないのではないか」という旨の発言をした。父は「かつて李白杜甫がそうだったな」と返してきた。その通りだ。酔っ払っているくせによく出てくるものだと感心した。こういう手合いは相手にかぶせることで喜ばれることを知っている。「日本で言うところの種田山頭火や尾崎放哉もそうだ」というと、父は感心したように唸った。嬉しそうだった。理屈と屁理屈が好きな人なのだ。この私でも手に負えないと思うほど面倒な人なのだ。

 

前に帰省した際に、駅まで送ってもらったときは更に面倒だった。寝ぼけ眼の私は、車窓から外を眺め、「冬だというのに暖かいものだ」とつぶやいた。眠気と、実家から駅へ向かう道中の、多少の感傷にまどろんでいる。

「温暖化だな。原子力発電は大量の冷却水を海水で補っているけど、熱くなった海水はそのまま海へ放出している。暑くならないわけがない。そもそも温暖化の原因としてー 」云々。

私は(始まってしまった…)と狭い車内で一人閉口した。困ったことになったと思った。こうなるとこの人は止まらない。否定するに足る理屈も同調する意思もなく、早く終われといううめき声にも似た単調な相槌でやり過ごした。楽しいのだろうとは僕でもわかるが、付き合ってやるほど元気でもなかった。

 

面倒であると散々言ったが、あの人は遊ぶ選択肢が多い。オセロにチェス、将棋に釣り、ゴルフに至るまでは休みに連れられて学んだものだ。教えている最中にはまた理屈っぽく、「魚の居場所は岩陰やー」「左にスライスするのは身体の回転軸がー」「桂の高飛び歩の餌食だぞ」などと面倒臭く教えてくれた。しかしこれらは楽しかった。さすがにルアーを自作したりなどはしなかったが。

本を読むようにしてくれたのも父だ。月に1、2冊本を買ってくれた。シェイクスピアを教えてくれたのも父で、これらには感謝している。

 

書いているうちに、やはり似ているというか、似たくないというか、似るのも悪くないというか、そんな面倒臭い感じになってきた。あの人の子供なのならば、僕も面倒臭くなって当然なのだろう。母には悪いが、こんな反論をさせてもらおう。

 

ああ、腰が痛い。

確かこの腰痛も父譲りだった。 困ったものだ。