ここ2,3日冷えたものの、東京は次第に暖かくなってきてた。そろそろ桜のつぼみがふっくら丸みを帯び始めるのではないかと思われるくらいに、もうすっかり春の様相である。ぼちぼち春服にしなければいけないなあと思いながら、ファッション誌なるものをパラパラと立ち読みしてみると、これがどうにも分からない。なんだ、『敢えて』だの『異素材で』だの『ハズす』だの。こっちとらハズしっ放しのハズかしい人生だってのに。正解を知らないからハズしようがない。何度読んでもファッション誌がまったく分からない。ファッション誌からそのまま出てきたような服を着ている人を見ると、ちょっと後退りしてしまう。あれはなんだか2次元みたいな、誌面から出てきてはいけないようなものだと捉えている節が僕にはあるらしい。そんなファッションあるじゃないですか。
更に後ろの方の特集では『女子のホンネ』『こうすれば気になるあの子をオトせる』みたいな、途中がやたらとカタカナになっている数ページは読んでいて赤面してしまいそうになるし、そもそも(そんなの人によるだろ…)と、どうにも楽しめない。なんだ、ムー感覚で楽しむものなのか?
でも世の女性陣はイケメン読モなるお洒落な奴らが好きなのだろうなあ。
お洒落といえば、最近どうにも鼻に付くのが川端康成。『雪国』や『伊豆の踊子』なんかが有名な日本人初のノーベル文学賞受賞者。僕は『眠れる美女』ですっかり挫折して離れてしまいましたが。眠れる美女を三島由紀男は非常に構成的と言っていたけど。今一度読めば分かるのかしら。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
(川端康成『雪国』)
それでもこの冒頭は知っているし、洒落たもんだなあと思う。ちなみに国境は「こっきょう」ではなく「くにざかい」だという話を聞いたことがある。なるほど国内に「こっきょう」はないからな。
ちょっと文学を調べていると、『高踏派』だの『白樺派』だの『余裕派』だの、まあたくさんの派閥が出てくる。『自然主義』や『新現実主義』、『耽美主義』なんて、主義もたくさんある。ちなみに僕の本棚には『無頼派』と『新技巧派』が多い。
気になって川端康成を調べていくと、まあお洒落な文なんですよ。ちょっと腹立つくらい。
なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。
『雪国』
同じ雪国より。これは結構心当たりがあって軽い悲鳴をあげてしまう人もいるんじゃないですか。どうですか。
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。
『掌の小説』
これがまっっった小洒落ているとは思いませんか。小洒落ていてなんだか腹が立ってきた。コノヤロウ!康成コノヤロウ!これをされると、男はおそらく思い出してしまうし、匂いのあるものだと余計に花に気付きやすくなるんじゃないかなあと思うわけです。そしてこんな文章を男が書けるもんなんだなあと感嘆する。これは完全に女性の視点なんじゃないのかな。少なくとも僕は考えもしないだろうし。
騙されないで人を愛そう、愛されようなんてずいぶん虫のいいことだ。
『女学生』
ははは。
全体的に小洒落ていますね。顔はちょっとした妖怪みたいなのに。してやられた感じがとても悔しいよ。
最後にもう一つ。周りの同棲結婚出産ラッシュに身を屈め、ひとりの寒さに耐えている僕に、川端先生の言葉が沁みるわけですよ。
健全な愛は健全な人にしか宿らないものだよ。
『水月』
……そっかぁ。