よかれと思って大惨事

感情と思考の供養

打席に立って大惨事

異動して3ヶ月が経った。泣きながら走り回っていることが多い。足腰の弱さ、姿勢の悪さも手伝ってか、特に腰が痛い。圧倒的疲労である。これは皇潤の出番だろうか。それとも世田谷育ちのグルコサミンだろうか。誰ぞ!誰ぞ有識者はおらんか!誰ぞこれへ!

そんな具合に僕はひ弱で、相手が社長だろうがべっぴんさんだろうが、人といると先に疲れたと駄々をこねる。べっぴんさんと一緒の場合は、「疲れちゃったから、どこかで『休憩』しない?」だけれど。

まあ、体力が恥ずかしいほどないという話なんだけれど、一応小中と野球をやっていた。申し訳程度に。今の「会社なんて隙あらば休もう」という姿勢は、思い起こすと少なくともこの頃には出来上がっていた技能〈スキル〉だった気がする。そんなんだから当然、部活をやっていたと言っても部員の中でも特に体力はなかったし、肝心の野球の技術は見るも無残な状態だった。そもそもやる気がない。足が速くないので走塁もいまいち。守備は外野のくせに落下地点が分からなくてフライが取れないという致命的欠陥を抱えていた。当時の友人ら曰く、「お前のところに飛んだら、終わったと思ってたよ」だそうだ。ひどい話である。しかし、残念ながら反論はできない。ボールが飛んできたら、僕も(終わった…)と思っていたから。だって落下地点が分からないんだから。僕のところに飛ばすなんて、ひどい話である。更に言えば、外野は大体暇で、守備の際あまりにボールが飛んで来ず、来てもフライという悪夢に嫌気がさして、ほとんど(帰って漫画でも読んでいてえ…)とぼんやり空を眺めて、飛んでいた鳥をボールと間違える『野球部あるある』を繰り返し、はるか後ろに飛んだボールを拾いに行ったりしていた。守備というよりも球拾いの方が近いくらいだったかもしれない。

それでも、これはほぼ才能の域と言っていいくらい、バッティングだけはよかった。贔屓目に、多めに、甘く見積もってだけど。当時の友人ら曰く、「ほんと、バッティングだけは良かったよなあ」だそうだ。ひどい言い草である。バントもできるのに。

 

昨年末に友人とバッティングセンターに行った。その日はバッティングセンターをハシゴしていて、2件目だった。球数は既に50球は超えていた。体力がないのでふらふらなんだけど、日頃の運動不足もあって打ち続けた。小フライが4球続いて考えてみる。原因は恐らく右肩が下がっているかバッドヘッドが下がっているからだろう。身体の回転はぶれていない。疲れのせいかもしれない。ホームランを狙っているから、アッパースイング気味になっている可能性もある。バッドヘッドを意識する。自分の感覚でボールの芯少し上を振る。そうしていい当たりが連続する。

僕の場合、バッティングはそういうトライ&エラーの繰り返しだ。練習でその精度を高めて、試合で試す。球種や配球、ピッチャーの投球の癖も打席に立つ前に意識して見る。それがヒットに繋がれば勿論嬉しいし、バントだってライン際に落とせたら楽しい。成功した自信が精度をあげる。守備にはそれを見出せなかったけれど。

 

 

先日、社用車を運転していると、perfumeの「心のスポーツ」がラジオから流れてきた。

心のスポーツ/prefume

 

なるほどどうやら、恋愛とは心のスポーツであるらしい。のっちが言うんだから間違いない。スポーツったらスポーツなのだ。

僕の歴代の彼女は、リスカ、浮気(されていた)、不倫(相手が嫁がいる男と情事を常時。乗じたりしていた)とレパートリーに富む。

こと恋愛に関して僕は打席に立っても、トライ&トラブル続きだ。おかしい。運動神経はいいはずなんだけれど。次第にイップスになってしまったみたいで、恋愛が怖い。そしてそれに一喜一憂することが疲れる。要はスタミナがない上にポテンヒットも打てない。僕にとっては苦手な競技だ。もしかして守備なのだろうか。だとしたら最悪だ。もう僕にできることは何もなかったということになる。

結局、安全に脳内で気持ち良いヒットを打つシミュレーションをしているのがお似合いらしい。僕の脳内彼女は最高なのだ。最高ったら最高なのだ。

先日、大学の学友が入籍した。周りは2人目が産まれたり、入籍したり、同棲したり。まあ何が言いたいのかというと、可及的速やかに、脳内彼女を脳内嫁に昇華するしかないかなってこと。