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打席に立って大惨事

異動して3ヶ月が経った。泣きながら走り回っていることが多い。足腰の弱さ、姿勢の悪さも手伝ってか、特に腰が痛い。圧倒的疲労である。これは皇潤の出番だろうか。それとも世田谷育ちのグルコサミンだろうか。誰ぞ!誰ぞ有識者はおらんか!誰ぞこれへ!

そんな具合に僕はひ弱で、相手が社長だろうがべっぴんさんだろうが、人といると先に疲れたと駄々をこねる。べっぴんさんと一緒の場合は、「疲れちゃったから、どこかで『休憩』しない?」だけれど。

まあ、体力が恥ずかしいほどないという話なんだけれど、一応小中と野球をやっていた。申し訳程度に。今の「会社なんて隙あらば休もう」という姿勢は、思い起こすと少なくともこの頃には出来上がっていた技能〈スキル〉だった気がする。そんなんだから当然、部活をやっていたと言っても部員の中でも特に体力はなかったし、肝心の野球の技術は見るも無残な状態だった。そもそもやる気がない。足が速くないので走塁もいまいち。守備は外野のくせに落下地点が分からなくてフライが取れないという致命的欠陥を抱えていた。当時の友人ら曰く、「お前のところに飛んだら、終わったと思ってたよ」だそうだ。ひどい話である。しかし、残念ながら反論はできない。ボールが飛んできたら、僕も(終わった…)と思っていたから。だって落下地点が分からないんだから。僕のところに飛ばすなんて、ひどい話である。更に言えば、外野は大体暇で、守備の際あまりにボールが飛んで来ず、来てもフライという悪夢に嫌気がさして、ほとんど(帰って漫画でも読んでいてえ…)とぼんやり空を眺めて、飛んでいた鳥をボールと間違える『野球部あるある』を繰り返し、はるか後ろに飛んだボールを拾いに行ったりしていた。守備というよりも球拾いの方が近いくらいだったかもしれない。

それでも、これはほぼ才能の域と言っていいくらい、バッティングだけはよかった。贔屓目に、多めに、甘く見積もってだけど。当時の友人ら曰く、「ほんと、バッティングだけは良かったよなあ」だそうだ。ひどい言い草である。バントもできるのに。

 

昨年末に友人とバッティングセンターに行った。その日はバッティングセンターをハシゴしていて、2件目だった。球数は既に50球は超えていた。体力がないのでふらふらなんだけど、日頃の運動不足もあって打ち続けた。小フライが4球続いて考えてみる。原因は恐らく右肩が下がっているかバッドヘッドが下がっているからだろう。身体の回転はぶれていない。疲れのせいかもしれない。ホームランを狙っているから、アッパースイング気味になっている可能性もある。バッドヘッドを意識する。自分の感覚でボールの芯少し上を振る。そうしていい当たりが連続する。

僕の場合、バッティングはそういうトライ&エラーの繰り返しだ。練習でその精度を高めて、試合で試す。球種や配球、ピッチャーの投球の癖も打席に立つ前に意識して見る。それがヒットに繋がれば勿論嬉しいし、バントだってライン際に落とせたら楽しい。成功した自信が精度をあげる。守備にはそれを見出せなかったけれど。

 

 

先日、社用車を運転していると、perfumeの「心のスポーツ」がラジオから流れてきた。

心のスポーツ/prefume

 

なるほどどうやら、恋愛とは心のスポーツであるらしい。のっちが言うんだから間違いない。スポーツったらスポーツなのだ。

僕の歴代の彼女は、リスカ、浮気(されていた)、不倫(相手が嫁がいる男と情事を常時。乗じたりしていた)とレパートリーに富む。

こと恋愛に関して僕は打席に立っても、トライ&トラブル続きだ。おかしい。運動神経はいいはずなんだけれど。次第にイップスになってしまったみたいで、恋愛が怖い。そしてそれに一喜一憂することが疲れる。要はスタミナがない上にポテンヒットも打てない。僕にとっては苦手な競技だ。もしかして守備なのだろうか。だとしたら最悪だ。もう僕にできることは何もなかったということになる。

結局、安全に脳内で気持ち良いヒットを打つシミュレーションをしているのがお似合いらしい。僕の脳内彼女は最高なのだ。最高ったら最高なのだ。

先日、大学の学友が入籍した。周りは2人目が産まれたり、入籍したり、同棲したり。まあ何が言いたいのかというと、可及的速やかに、脳内彼女を脳内嫁に昇華するしかないかなってこと。

 

KETSUKARA in my Blood

先週、昼過ぎに起きて、なんだか腹の調子が悪いなあと思っているとどんどん痛くなってきて、それはそれはものの見事な痛みで。夕方にはもううずくまる以外に過ごしようがありませんでした。ケツ論からいうと、急性胃腸炎になりました。ケツという堤防がケツ壊したのであります。

 

病のために床に臥したのは恐らく昨年の夏以来で、僕は夏になると一ヶ月くらい体調を崩すのだけれど、冬に体調を崩したのは二十歳の頃にインフルエンザになって以来じゃなかったろうかと思われた。我ながら大健闘だ。誇るべき丈夫な体だ。馬鹿は風邪どころか病気をしないのかもしれない。

そんな僕が39℃近い熱を出し、ふらふらとトイレとベッドを行き来しているうちに、土日は過ぎていってしまった。せっかくの休みだった。今月も忙しく、朝から晩まで、精神を折られるどころか粉々に打ち砕かれ、粉のようにサラサラとしたものになっていた。疲れが溜まっていたのかもしれない。その間というもの、実に悲痛な、悲惨な、凄惨な、暗澹たる時間を過ごした。

 

 主に過ごした場所はベッドとトイレ。ベッドで仰向けになるも、痛みも便意も収まらない。体を右へ左へ向けてみても、痛みは刻一刻とひどくなっていくようだった。膝を抱えるようにベッドにつっぷして、痛みが引くのを待つしかなかった。もうとっくに出すものは出し切っているだろうに、それでも僕の腹の内壁は切れ味の悪いのこぎりで切られているような、嫌な上司に執拗にチクチクと針で刺されているような、そんな感覚に苛まれ続けていた。

1時間に2,3度トイレに駆け込んだ。1回がおそらく10分程度だったろうから、大半をトイレで過ごしたことになる。トイレの住人になった。部屋を物置にしてトイレに寝起きしたいくらいだった。トイレの神様の誕生は恐らくこんな感じだろう。あまりの痛みにタオルを口元に当てて、呻いたり、叫んだりしていた。トイレの壁に頭を打ち付けていた。そして打ち付けた音が乱暴なノックに似ていたため、「入ってむぁーーすッッ!!」と絶叫し、また痛みでトイレの壁に頭を打ち付けていた。そしてまたひとしきり打ち付け終えると「入ってむぁーーすッッ!!」と絶叫を繰り返した。無限機関の誕生であった。トイレの無限機関神様の爆誕であった。

 

3日3晩トイレの壁に頭を打ち付けて、夜も寝たかと思うと痛みで起きだすような生活をしていた。無論、月曜は会社を休んだ。無限機関は残念ながら外に持ち出すことができなかったのである。加えて、僕は自分の家のトイレの神様であり、他のトイレでは神でないのであった。

 

持論で『病のときは、汗かいてめちゃくちゃ食えば治る』というのがあった。夏に1ヶ月体調を崩したときも、毎年これで乗り切っている、信頼のある持論だった。多分、科学雑誌ネイチャーにも載っていた。ところが、今回は一切食べたくなかったのである。食欲が一切湧かないどころか、食べ物に嫌悪感さえ抱くほどだった。そんな状態のまま、請求処理等の業務が残っていたため、火曜日にはポカリスエット片手に出社を余儀なくされた。

ふらふらの働かない頭を抱え、漏らさないよう祈りながら出社。シンプルなことは辛うじてできた。なんとか一通り仕事を終え、漏らさないように祈りながら電車に乗り、帰ってくる。転げるようにトイレに行って、さんざ呻き、結局ほとんどなにも出てこなかったが、体を回転してレバーに手をかけ水を流そうとして、笑ってしまった。まさか血便が出るとは思っていなかったから。自分から、自分のケツから血が出てくるとは。血便は2日続いた。元来貧血気味だったために血を失うことに抵抗があって、献血どころか健康診断の採血でさえ嫌だったのに。こんなことならバレンタインデーに山口に行ってくるべきだったかもしれない…(参照:パーティーは終わったんだ - よかれと思って大惨事

 

ケツ果、3kgほど痩せていた。暴力的、圧倒的デトックスであります。強行ダイエットです。確かライザップもこの方法が1番だと言っていたとかいないとか。ゆるくなっていた腕時計もベルトも、更にゆるくなっていた。どうにも急性胃腸炎になると周りの物が大きくなる傾向があるようだった。

 

 備忘録として、以下は携帯のメモにあったものや振り返りなど。

・食べ物やポカリを持ってきてもらうサービスはないだろうか。
・人に頼れない(なんで俺がとか面倒臭いとか思われそうで)。みんな人がいいから、泣きついたら助けてくれるだろうけど。そして逆のときは、助けられる人間になりたい。
・やっている病院と時間の把握
・僕が結婚したらトイレ2室必要だ、離婚原因になりかねないから。
・無理を押して出社した。シンプルなことしかできなくて、逆に頭がスッキリしていた。腸も超スッキリしているのだろう。ここに因果関係はあるのか?

・計4日ほど、ほぼ食べないで生活をした。髪はどんどん細く張りがなくなっていく反面、嘘のように髭は伸びた。僕のなけなしの栄養は全て髭に吸いつくされ、最終的には本体が髭になってしまうのではないだろうか。

 

 

1週間経って、気は遣うものの、まあ普通に食事ができるようになった。昨日は先週から溜め込んだ掃除洗濯。

今日は御茶ノ水にCDを買いに行って、亀戸天神社に梅見物。白梅はいい。青軸垂れは面白い。白梅の香水は持っていたのだが、春告の香水も欲しくなる。いい匂いの境内からは獅子舞が踊っているのが見え、お囃子が聞こえていた。帰りがてら、秋葉原でパソコンを見て、結局iMacにしてしまおうか悩む。

1週間前、泣きながらトイレの壁に頭を打ち付けていた人間とは思えない、良い休日を過ごした。トイレの神様と無限機関は引退しようかと思う。皆様も何卒、ご自愛を。トイレより愛を込めて。

 

パーティーは終わったんだ

昨日、今日と仕事が立て込んでおり、帰りが遅くなってしまいました。眠い目を擦りながら書いたのですが、残念ながら寝落ちしてしまいましたので、以下ロスタイムと割り切ってお送りいたします。皆様におかれましても、割り切ってお読みいただければと思います。それでは。

 

 

さて、バレンタインです。バレンタインデーです。どうですか!そこのカップル愛し合ってるかーい!愛し合ってるのかーいコノヤロー!!!!おい笑ってんじゃねぇ!楽しいか!笑ってんじゃねぇってんだよヘラヘラするな!正座しろ!聞いてんのか!正座して聞けよ!!いいな!?

そこの彼女ー!思いの丈はぶつけたのかーい!チョコは渡したのかーい!おいなんで俺に寄越さねぇ!そんなヘナヘナの男より俺の方がいいだろうが!ちゃんと見ろ!俺を見ろ!!こっち側の人間がどんな思いでこういうイベントから目を背けているのか、分かってんのか!

 

悲喜こもごも、各々のバレンタインをお過ごしのことと思います。今日はなんだかアクセスが多いです。なんでしょう。何か求められている気がするので、こうして筆を取っているわけであります。

ちなみに僕はチョコを1個いただきました。会社の、同じフロアの、女性陣から。みんなの机に置いてあるのと同じものを。なんだろう、この申し訳ないやら泣きたいやら。

お前を思ってくれる人間なんていないし、愛されなど到底しないんだよ!と一方的に告げられているこの感じはクリスマスと一緒であります。考えすぎと言われればそれまでなのかもしれないけれど。しかし分かっていても、悲しいものは悲しいのであります。

ところで脳内彼女は、タンクローリー一杯のチョコを部屋に流し込んでくれました。液体のチョコを泳ぎながらこれを書いています。愛してるぜベイベー。

 

 

僕は今月頭にバレンタインデーの存在に気付き、行動を始めていました。もちろん遅いのではないか。という不安もありましたが、それでも行動こそが結果を出すと信じて、声高に叫んだのです。

 

 

前日になり、不安が募り始めていますね。

僕のような非モテ野郎は、こうして声を張り上げるしかなかったのです。普段「人間関係がない」と言っていても、神は粛々と、敬虔に生きる僕をきっと見てくれているはずだよね…

 

 

 

だめでした。もう無理だと確信し始めてます。それでも叫ぶのです。魂の主張を!!

 

 

心ない人から、山口県献血してこいという連絡もありました。嫌だ、注射怖い。そして楽してモテたいチョコ欲しい。

 

 

5億は欲しいよ。3億だって欲しい。

 

 

 

バレンタイン?え、なんすかそれ?ウイスキーっすか?何年もの?違う?じゃあ助っ人外国人?それでもないの?じゃあムーとかに載ってる類いでしょ?

 

……えーと、冒頭にもあるように、ロスタイムですから。お待ちしています。ください。5億。

白梅香

本当に降るのだろうか。そう思いながら、赤信号の奥の空を見上げた。対象的な青に白い雲が散見された。1ヶ月振りに土曜、日曜と仕事が入ってしまった。木曜と金曜の深酒を悔いながら、土曜日の帰り道に社用車から空を眺めているとどうも降りそうにない気がした。なんでもここ最近東京で雨が降ったのは成人式のときだけで、それ以降は全く降っていないらしかった。僕の記憶だと毎日が快晴で、空の色は青と黒以外なかったのではないかと思われるほどだった。

 

年末年始に帰省した際、秋田は驚くほど晴れていた。雪がない実家での冬は初めてのことではないかと思われたが、母に聞くとどうやらそうでもないらしい。僕の記憶が甚だ曖昧なだけだろう。適当に、場当たり的に生きているから、いまいち記憶というものがない。

しかし、今年ほど晴れ渡った天気はやっぱり記憶になく、十数年生きた土地の季節が分からなくなくなっていた。社会人になって移り住んでからというもの、東京の冬が秋田の春と思われる暖かさで、四季を錯覚してしまうことはあったが、とうとう地元の冬にもついていけなくなったようだった。

晴れに少し疲れていた。しかし東京でも秋田でも晴れ続きだった。

 

日曜に仕事をしていると、昼頃にぽつりぽつりと降り始めた。屋内から見ていると雨脚は弱いようで、地面を一様に濡らしたくらいで傘を指していない人も多かった。車とは言え、雨の中を帰るのも嫌だったが、それでも少し残念がる気持ちがあった。

会社に戻って事務処理をする。申し訳程度に降っただけでは、乾燥は改善されていないようだった。帰り道、マスクをつけながら歩いていると、ふといい匂いがしたような気がした。立ち止まって辺りを見渡す。知っている小道の知らない軒先に花が咲いていた。梅だった。梅は好きだ。どうやら春が来るらしい。こちらはどうにも春が早い。

  

方方見聞録・滋賀3

長くなって飽きてきた。あまり気が進まないけれど中途半端に終わらせるのも気持ちが悪いので、さっさと終わらせたいと思います。

 

さて、心優しき読者諸氏、その身体の横幅に不釣り合いな、無い胸に手を当てて考えていただきたい。ちなみに私は暴力には反対だ。だから力強く握ったその拳を一旦開いて、胸に当ててほしい。余談だが、胸の大きさを気に病むことはないし、ふくよかな人の方が私は好きです。ご安心を。

本題。みなさんは山登りをしたことがあるだろうか。

東京近郊であれば、高尾山辺りが人気だろう。あるいは本格的な人ならば富士山か。もしくは近所のちょっとした山だって良い。海に行ったことはあるが、山に行ったことはないという人は、案外多いのではないかと思うのだけど、どうだろう。

私は外出が苦手で、遠出なんてよっぽどのことがない限りしないインドアというか出不精のエキスパートなのだけれど、そんな私にも登山の経験はある。しかも3回。近年だと海に行った回数より多いし、なんなら年上豊満美女とデートした回数よりも多い。なぜなら年上豊満美女とデートした回数は0回だから。

2度は高尾山。スーツで。理由は会社の、まあ、イベントというか都合というか、巻き込まれ事故みたいなものだった。同期や上司にほぼ拉致監禁されたといっても過言ではない。弊社のブラックぶりがわかるくらい、ひどい人たちなのだ。

そして3回目は今回の滋賀旅行の際だ。これが一番辛かった。というか死ぬかと思ったし、最終的にはもういっその事このまま山中に住んで、なりたかった仙人か天狗をめざそうと半ば半べそ半狂乱になったくらいだった。

 

18(日)

前日の夜に、地の食べ物も地酒もない、閑古鳥の鳴き声が些か響き渡るくらいがらんとした居酒屋をタクシーの運転手におすすめされ、神がいるとしたら、この善良な小市民をいたぶって楽しんでいるとしか思えない空気を味わった。

唯一よかったことといえば、どうやら行こうとしていた比叡山には滋賀側から電車とロープウェイで行く事ができ、尚且つ同じように乗り継いで反対の京都側に降りればそのまま東京まで新幹線で帰られるという情報を得た事だった。

私は久々にネット以外から仕入れた、言わば地元の人との交流によって得られたこの知識に非常に喜びを感じて、勇んで比叡山に足を踏み入れた。

翌日、ロープウェイを降りて延暦寺に向かっていると、遠くの方から鐘の音が山にこだましていた。疲れから足取りが重く、後ろから来た金髪にスウェットのような派手なカップルに抜かれる。大きな笑い声に驚きながら、彼らもお寺に行くのだろうか、こんな山奥にはクラブやたむろに適したコンビニがあるとは思えないし。などと考えていたら、今度は腰の曲がったおばあさんにスッと追い越された。どんどん小さくなっていく背中を眺めながら、(こうしてみんなに追い越されて、周りには何もなくなる感じ、まるで僕の人生のようじゃないか…)と我ながら訳のわからない悲壮感に漂っていると、とんでもなく大きいお寺が現れた。綺麗な朱色の建物は、なんだかとてもありがたい気がした。工事中の根元中堂の壁一面に貼られた学生やら一般人の習字がとても面白く、一番時間を割いた気がする。教室の後ろの光景が、広いお寺の壁一面にあって、尚且つ色んな字があったら、それは丁寧に見ちゃうよ。

比叡山延暦寺に油断大敵の語源であるとされる『不滅の法灯』があるというのは余談。

 一通り延暦寺を観光し、京都へ向かうことにする。どうやら京都側に降りるロープウェイは、山を登った先にあるらしかった。

目的地に向かう途中、登山用の装備に身を固めた人たちとすれ違った。皆、一様に私をみて困惑している様子がある。高尾山で見た表情と一緒だ。

案内板はあまりないが、どうやら道は合っているらしいと思いながら山道を進む。舗装されていない道を1,2kmも進んだ頃だったろうか。急に景色が開ける。

 

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とても気持ちがいい。

 

老夫婦らしき人たちと挨拶を交わす。またもや困惑顔。片や登山装備。そして私はスーツ。なぜなら仕事のついでの旅行で、余分な荷物は持ち合わせていなかったから。

私が力説したいのは、スーツは戦闘服であるということだ。つまり戦いに適しているわけだ。そこいらのTシャツなんかよりよっぽど強く、外敵や困難から身を守ってくれる。登山だって例外じゃない。何より、私は高尾山をスーツで制覇している。2度もだ。スーツでの登山は慣れたものなのだ。

さすがに靴はスニーカーに履き替えている。これは好判断だった。つまり私には登山に対し、恐れる要素がなかった。さっさと京都側に降りよう。

そう思っていた矢先、自分の認識の甘さに愕然とする。そしてどこかで道を間違ったのではないかとい不安に駆られる。

 

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道がなくなっている。

 

そんなはずはない。途中で案内板は確認したし、ここから降りてきた人たちともすれ違った。もしや彼らは山の民なのか…

この先にロープウェイはないのではないか。という一抹の不安を抱えるも、もはや戻れる距離と体力でもないので、進むことにする。男はいつだって前に進むものだ。そして山道を2時間近く歩いてきたんだ。戻るなんて恐ろしい。戻ったところで滋賀から京都へ向かう労力も大変なものだし… 

 

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更に30分ほど歩いたところ。

 

イエスイエッッス yeeeeeeeeeeeah!!!

きた!俺は正しかった!神は俺を見捨てなかった!地獄に仏!やっと!やっと降りられる!さっさと降りて俺は座りたいんだ。疲れたんだ!待ってろや京都このッシャアオラアアアアー!

 

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………………………。

………えっ……どういうこと?………いや…………え………いやいやいや………………

いやいやイヤイヤ嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤーーッッ!!!!誰かー!誰か来てーー!

ウンキュウ……?京都方面…運休………?

ははは、まさかね。人生ロクなことがないよね。神も仏もないよね。僕はただ京都側に降りたいだけなのに。

しばし途方に暮れてトボトボと歩き始めると、バスの時刻表らしき看板が。

お、バスもあんのか、よしよし。どうかするかと思ったぜ…まあ仕方がない、バスで京都側に降りればいいじゃないか………。待ってろや京都このッシャアオラアアアー!!

 

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これね。見づらいと思いますので解説しておきますと、冬季運休ということが書かれているんですね。右側中段に『12/5〜3/18は運休してます』的な旨が書かれているんです。この看板を阿呆ヅラで見ているのが12/18なので、多分ね、バスも休みなんですよ。休みだとは思うんですけど、人って絶望すると思考能力が極端に下がって、何かにすがりたくなるんですね。こういうときに怪しい宗教なんか誘われたらどっぷりはまりますね。

結局そこから更に山を登って、バス停まで行きました。きっとバスが俺を迎えに来てくれるんだァァアアアアーーー!!!信じねーぞ休みなんて!!!!!

 

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すごい!天気がいい!空が近い!そして寒気がするほどの静寂!

人っ子一人いないとはこのことか。びっくりした。30分ほど座り込んで、冷静を装って持っていた本とか読んでたけど、遠くの方から鐘の音が聞こえるくらい。それ以外に音がない。静けさに涙が出そうになることってあるんですね。もう降りるのも面倒だし、ここに住むのも悪くないかなって思った。

 

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待ったものの、バスも来ないので、歩くことに。

疲れと絶望から足元がおぼつかなくなるんですが、ちょっと間違うと、60度くらいの傾斜というか崖が待ち構えているんです。ごろごろと転がりながら下りれば、きっと早く着くだろうという下策が一瞬頭をよぎるんだけど、多分バラバラになっているんだろうなあというなにかと現実感を失った役に立たない思考ばかり浮かぶ。

そうしてフラフラしながら3kmほど降って、元来た駅に降りて、電車に乗り継いで、京都へ。そして新幹線へ。

もう滋賀には行かねえ。

方方見聞録・滋賀2

あけましておめでとうございます。

 

 

新年のご挨拶をするにはだいぶ遅れてしまいました。

今年の抱負なんて大それたものを僕のような偏差値15が考えられるわけもなく、IQ600の僕が1年の計なぞ考えられるわけもないので、しれっと大晦日に更新したものの続きを書いていこうかと思います。昨年12月の見聞録です。

そんな感じでだらだらと更新していきますので、もし万が一、仮に、差し支えなければ、本年も何卒、このお駄文ブログをよろしくおねがいいたします。

では、さっそく。 

 

 

17(土)

日頃の疲れもあり、8時過ぎに起きて、青春18切符を片手に名古屋から滋賀に向けて移動。

さて、滋賀ではどこに寄ろうか。色々調べて、やはり日本人として古きよき時代を知り、いつ何時外人さんに『ニンジャ』を求められてもいいように「伊賀忍者博物館」に行くのはどうか。もちろん僕もカクレンジャーにどっぷりはまった世代ですから、また妖怪大魔王が復活しても僕の忍法で倒せるように、今のうちに忍者の諸先輩方から勉強しておくのもひとつの手ではないだろうニンニンか。

すみません、つい忍者らしさが語尾に出てしまった。

もしくは、ルーブル美術館のガラスピラミッドを設計したI.M.ペイが設計をしているミホミュージアムに行くべきか。相当悩んだ。

 

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ミホミュージアム公式フォトギャラリーよりhttp://miho.jp/japanese/landscap/landscap.htm

 

ミホミュージアムは宗教団体の施設と知ってちょっと悩んでしてしまったのだけれど、展示自体はそれとは関係ないらしく、そして桃源郷をイメージして作られたらしい建物自体が相当見応えあって。特に上の写真なんてすごい。借景。和。しかも恐らく屏風をイメージしている。格好良いじゃあないですか。溢れんばかりのセンス。やるじゃん。他にも面白そうなものがあったのだけれど、いかんせん広い。多分僕の貧弱な、本体とは別に米寿を迎えられた脚腰がもたない。敷地面積100万。東京ドーム1個が46,755㎡だそうなので、約21個分ですよ。約21個分。東京ドーム約21個あったら42チーム対戦できるわけですよ。正確には東京ドームがもう0.4個分ほどあるはず。その0.4個でアップをするのもいいし、みんなで日向ぼっこしてもいい。

しかも建物の8割が地下にあるらしい。おいおいすげーですよこいつは。ちょっとした秘密基地ですね。

 

上に挙げた2案。ざんねんながらどちらもそこそこ遠く、時間と体力を考慮すると難しい。結局、初日の目的への通り道である彦根に降り立ち、彦根城へ。

聞くところによると、ひこにゃんは可愛いらしいので見付けたら捕獲して家で飼おうという魂胆。 恐らくひこにゃんは単為生殖なので、新個体の育成に成功したら売って生活しようと思う。小さいひこにゃんは、多分可愛いので、高く売れるはず。 

何も調べずに行ったので、天守くらいが残っているくらいだろうと思っていたら、堀も健在だし状態も良く、大きくて驚かされた。天守の一番上から見えた琵琶湖がまた物凄い大きさで、対岸が見えないものだから、「海に隣接していない」という知識があっても、脳のりかいが追いつかなかった。以前、同期が「滋賀にはちょっと大きい水たまりがあって」と言っていたけれど、大きい水たまりなんてレベルじゃねーじゃんかよ。

 

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遠いけど、奥に琵琶湖が。 

 

また、彦根城内にあった玄宮園という庭園があり、そこも良かった。名勝に指定されているらしい。彦根城のチケットと入園の券が一緒になっていたので、追加料金なく入れた。冬だったから午前だったからか、人もまばらで気ままに気持ちよく回れた。イメージとしては兼六園が近いか。

 

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天気が良かったので、ベンチに座わってぼんやりしたのがとても気持ち良かった。

 

そして初日の目的、蓬莱庭園のある大池寺へ。

この大池寺、日本の名勝に指定されている庭園があるんですよ。枯山水。見たい。なんだか庭見てばっかりなことにやっと気付いたけど、なんというか、芯が通っている自分を抱きしめたい。そしてこんな落ち着いた渋い趣味をしている僕を、年上豊満美女の皆さん、抱きしめたくなりません?愛したくなっちゃいません?どうです?どう?love me doーッッ!!

すみません、つい愛されたさが語尾に出てしまった。

 

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大池寺

 

名勝なだけあって、綺麗な枯山水玄宮園の後だったためか、多少こじんまりした印象があったけれど、枯山水はそんなに大きくないですよね。刈り込まれたサツキが波を表しているらしい。これを見ながら飲む抹茶がなんともうまかった。

関西は12月中旬でも紅葉が見られるかと思っていたのだけど、どうやら関東と同じくらいの12月上旬に見頃が終わってしまうようで。「ちょっと惜しかったね」と居合わせた地元の方々と思しきご老人方と交流した際に言われたが、こっちはタイミングを外してばかりの人生なのだから、簡素で荒涼とした景色もそれはそれで趣深く、ちゃんと楽しませてもらいました。

そして庭園を眺めながらご老人方としばらく談笑した後、おばあちゃま方には握手を求められるというモテ期を体験でき、大変よかった。「手ェ柔らかかったわ」と笑いながら去っていく背中に後ろから抱きついて耳元で愛を囁いてしまおうかと思った。久し振りに触れた人の手は少し固く、少し温かかった。

 

そして大池寺を出て宿に行くのだけれど、ここからが地獄。続きはまた次へ。

なんともヒキの弱い。 

方方見聞録・滋賀1

今月は発狂して、虎になってしまうのではないかというくらい忙殺されており、なかなか書く時間と気力がなかった。多くの人が1年の振り返りや記事のまとめをされているが、振り返ろうにもほとんど記憶がないので、通常通り書いていこうと思う。

先日、社用で名古屋に行った際、その忙しさと公私共にろくなことがない生活にいよいよ嫌気が指し、現実逃避がてら私用で滋賀を回遊してきた。もうしばらく前であるからほとんど曖昧な記憶になってしまったけれど、ここでもろくなことがなかった。これを話すような人間関係もないので、見聞録として吐き出しがてら記していきたい。

 そもそもなぜ滋賀に行ったのか。今まで社用で何度も名古屋に行っていたのだが、いつも持病のホームシックが発症してしまい、泣きながら新幹線に飛び乗るばかりだった。

休みは家の中にこもっているから、仕事で名古屋に行くのならついでに遠出をしてみようかと思い立った。名古屋は僕の食指が伸びるところがあまりなく、近場の京都は日数を確保して改めて行きたかった。結局、近場でなかなか行かないだろうところに行こうと思い立ち、滋賀に決まったという次第。

前置きが長くなった。

 

 

16日(金)

前日は4時まで飲んでいたこともあり、研修は白目をむきながらもなんとか終えることができた。

終わってから、最高の同期と最高の飯へ。最高の同期は一人ずついなくなってしまい、今では半分以下になってしまった。誰がいなくなったのかはよく覚えていないし、彼らのその後も知らない。最高の同期との最高の絆は、そんな小さなことを気にしないものなのだ。

何人かは1泊2日という日程にもかかわらずホームシックで震える手を抑え、目を血走らせながら走って帰ってしまったので、6人で名古屋名物味噌カツへ。多分うまかった。あんまり覚えていない。

クリスマスに浮かれる地下街を抜け、みんなを見送る。どうやら名古屋にもクリスマスという風習があるらしい。道路交通法はないのに。名古屋出身の同期は「道路に白線を引いただけだから」と言っていた。体育祭感覚なのだろう。安全運転をいう競技を導入してはいかがだろうか。

送り届けて、僕は駅前のホテルへ。2500円。どうです、破格でしょう。面白半分で予約したのだけれど、入って驚いた。1階が居酒屋。まあうるさい。しかも部屋の壁も薄く、申し訳程度にある受付のすぐ横であったから、終始話し声が終始聞こえてくる。シャワー、トイレは共用。正直気持ちが悪かった。

頼りない鍵を開けると、室内はすぐベッド。傍に小さいテーブルと椅子。刑務所の間取りを想像してみてほしい。プリズンブレイクでも、ショーシャンクの空にでも。ほぼそれで間違いない。

小さい窓があったのだけれど、外がすぐ名古屋のドヤ街なので、ガンガン雄叫びと女の高笑いがひっきりなしに聞こえてくる。おそらく世紀末なのだろう。荷物に肩パッドとモヒカンを用意していなかったので、気の小さい僕は気後れして、うすら寒い部屋の中で小刻みに震えながら三島由紀夫レター教室を読んでいた。

 

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 同期は何人か連れ去られてしまった。是非返してほしい。

 

すぐに寝て、次の日に。長くなりそうなので、次の日以降は次の記事で書いていこうと思う。